専門家の知見と素人の集合知は、どちらを重視すべきでしょうか?
もう数年前になりますが、Wikipediaのほうが、encyclopedia Britanicaよりも自然科学の分野については、より正確だったという研究が科学雑誌『Nature』に掲載されました。Googleのエリック・シュミットも「一人の天才の意見よりも、30人の凡人の意見を集めたほうが良い判断ができる」と言っていたことがあります。
原発の問題も、原発の専門家が行う判断に任せるよりも、多くの人が経験や直感から考える懸念などをもとに判断したほうが、より質の高い意思決定につながるという意見もある。
政府の政策決定も、これまでは専門家を集めた有識者委員会を作り、そこでの議論を意思決定の参考にしていました。でも、もっと直接的に国民の声を吸い上げたほうが質の高い政策が作れるのではないかという声もあります。
反対に、専門家でなければ分からないこともあるので、やはり彼らの意見を重視すべきだという意見もあります。
国民一人一人からの意見を吸い上げることが技術的に可能になっている時代において、専門家の知見と素人の集合知のどちらを重視すべきでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
原発の問題も、原発の専門家が行う判断に任せるよりも、多くの人が経験や直感から考える懸念などをもとに判断したほうが、より質の高い意思決定につながるという意見もある。
政府の政策決定も、これまでは専門家を集めた有識者委員会を作り、そこでの議論を意思決定の参考にしていました。でも、もっと直接的に国民の声を吸い上げたほうが質の高い政策が作れるのではないかという声もあります。
反対に、専門家でなければ分からないこともあるので、やはり彼らの意見を重視すべきだという意見もあります。
国民一人一人からの意見を吸い上げることが技術的に可能になっている時代において、専門家の知見と素人の集合知のどちらを重視すべきでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
私は、素人なのですが、専門家の知見というのは、大変、参考になります。意見というのは、その人の経験から、得られるものであり、さまざまな経験が合わされば、その中から、良い判断ができあがるのでは、ないでしょうか。私も、偉そうなことは言えないのですが、一人の意見は、やっぱり、ひとりよがりだと、思います。同じ世界に生きている以上、その世界を共有している、ひとりひとりの意見は、どれも平等であり、同じ重さの価値を持つものであると、思います。そのなかで、私たちは、共感しているのであって、どれが重要、とか、多数決で決めるのは、ちょっと、乱暴とさえ、感じます。平等であるからこそ、ひとりひとりが尊重されて、ひとりひとりを大切にしながら、一緒に考えていくことができると思うのです。