専門家の知見と素人の集合知は、どちらを重視すべきでしょうか?
原発の問題も、原発の専門家が行う判断に任せるよりも、多くの人が経験や直感から考える懸念などをもとに判断したほうが、より質の高い意思決定につながるという意見もある。
政府の政策決定も、これまでは専門家を集めた有識者委員会を作り、そこでの議論を意思決定の参考にしていました。でも、もっと直接的に国民の声を吸い上げたほうが質の高い政策が作れるのではないかという声もあります。
反対に、専門家でなければ分からないこともあるので、やはり彼らの意見を重視すべきだという意見もあります。
国民一人一人からの意見を吸い上げることが技術的に可能になっている時代において、専門家の知見と素人の集合知のどちらを重視すべきでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
大阪市議会がたたき台として提出したという家庭教育支援条例(案)について、職業柄、いろいろな人の意見に出会いました。
関係団体の要望書などを基に、結局白紙撤回という「判断」を議会が下したことに、また、いろいろな人の反応がありました。
自分がアクセスできる範囲で、そのいろいろを読んだり聞いたりしながら、何かがヘンと感じました。何がヘンなのかなぁ…と考えていたら、今回の茂木さんのお題「専門家の知見と素人の集合知は、どちらを重視すべきでしょうか?」が、天から降りてきました。
今朝の茂木さんのツイートに、「twitterが、対論の場に変化してきている・・・」とありました。
ヘンと感じた理由がいくつか見えてきました。
まず、議論が無いということ。
それぞれが、「ねぇ!そうだよねぇ!●●さんの言う通りだよねぇ。△△さんの言ってることはおかしいよねぇ」という小さな子どもの集団のような話をしている。
かと思うと、ただひたすら、こっちが正しい、あっちはヘンと言い張って、けんか腰。
意見を交わし、より良いもの、よりよい方向性を導きだそうという気概がかんじられない。。。
さらに言うと、いったい誰のために考え行動しているのかが、わからなくなっている。。。「愛」が無いのです。
「素人の集合知」が「知」であり得るのは、その集合体が多様であることが必要だと感じました。
その意味で、大阪の関係団体が共同で出した要望書は、とてもシンプルで知的だったと感じています。
・・・以下、要望書写し・・・
大阪維新の会大阪市会議員団 御中
要望書
貴議員団が大阪市会に提出を予定されています「家庭教育支援条例(案)」は、「親の愛情不足が発達障害の要因である」「子育ての在り方で発達障害は防止しうる」など発達障害について間違った記述があります。発達障害は、発達障害者支援法第2条において、「この法律において『発達障害』とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう」と記述されているように、先天的脳機能障害です。先の条例案の記述は学術的根拠がなく、発達障害についての偏見を増幅するもので、私たちは看過できません。下記、2 点を強く要望します。
【要望項目】
1.「家庭教育支援条例(案)」は、学術的根拠のない論理に基づいているので、その提出を中止してください。
2. 発達障害のある人々とその家族への支援の在り方について、当事者団体、専門家を含めた勉強会を開催してください。
平成24 年5 月7 日
「家庭教育支援条例(案)」を考えるネットワーク(順不同)
大阪ADHDを考える会 のびのびキッズ
大阪LD親の会 おたふく会
大阪LD・軽度発達障害親の会 翼
大阪自閉症協会
大阪自閉症支援センターを発展させる会 オアシス
ジョブサイトよど&ジョブジョイントおおさか家族会
NPO法人 はなしのぶ
親の会BochixBochi~発達障害児・者の親をサポートする会~
自閉症の人のバリアフリーを考える親の会 はぐくみ
高槻市障害児者団体連絡協議会
知的障害者育成会 高槻手をつなぐ親の会
東大阪市自閉症児と家族の会 ファミーユ
ポレポレネットワーク
・・・以上引用おわり・・・
これまでの多くの要望書が、それぞれの団体からそれぞれに出ていました。その内容には、どうしても、当事者では無い誰かの権益を守ろうとする意図が感じられ、「知」的であると感じられませんでした。
今回、大阪市議会が白紙撤回を決めた背景には、関係団体からの要望書だけではなく、専門家の意見も参考にされていると思います。(茂木さんや、乙武さんも、ツイートされていましたね。)
あのシンプルな要望書だけで、議会が一度だしたものを白紙撤回する判断をする(していい)とは、思えないからです。
集めた情報は、おそらく、日本の専門家だけではないはずです。
真に科学的、専門的な情報は、物事を判断するときに、とても重要なものだと思います。
その上で、「判断」をするのは、集合体のリーダーです。
「判断」には、集合知、専門家の知見、とはまた違った様々なファクターが入ってくると思います。
そこには、もしかしたら、その集合体のリーダーの都合も入ってくるかもしれません。
でも、そこには、専門家の知見も含むその集合体の「知」が結集されているはずです。
そして、その集合体の進むべき方向が決まる。。。
そこ(議論と判断)にあってほしい。。。あるべきなのは、プリンシプル?!愛?!だと思います。
合意形成には、100%みんなが賛成するということはないけれど、みんなが納得することはできる。
そこに行き着けるのは、自立して民主的な個人の集まったプリンシプルのある集合体だと思います。
言葉が足りず、箇条書きのような文章になってしまいましたが。
狭いところであーでもないこーでもない言っている人の多さと、井の中の蛙的に世の中を知らない人が多いことに、ちょっと驚いて、twitterで、みんなで議論しようよ!とここを紹介してしまったので(^^;とりあえず、ここまでで一度投稿させていただきます。
追伸
私は、「家庭教育支援」特に、子育て中の親への支援は、とても大切なことだと思っています。
だから、できれば、もう一度、それこそ、要望書にあるように、みんなで一緒に勉強しながら、もう一度、「家庭教育支援」について考え、具体化する方向に動いてほしい。。。
こんなことを言うと、とても不謹慎だと言われるかと思いますが、今回の条例(案)の一件で、「発達障害が親の育て方のせいでなるものではない」ということが、今までよりも広い人たちに知ってもらえる機会になったのではないかと思っています。議員さんたちだけではなく、世の中には、発達障害は親のせいと思っている人はまだまだたくさんいます。
「親のせい」と言われるのは、発達障害の子ども達への躾や教育が、一般的な常識にのっとって行ってもうまくいかず、子ども達の行動、様態が、社会的にみてよろしくない、と思われるような方向にいってしまいがちだからでしょう。
でも、彼らの脳の機能の仕方にあわせて教えていければ、「親のせい」であんな子になった、と言われなくなるはずです。(脳の機能障害はあっても、社会のなかで、うまく生きていけるようになる。という意味で。)
子どもを育てるとか、障害のある子どもを育てることが、初めての人は、ほとんどの場合、「素人」ですから。うまくいかなくて当たり前だと思います。
適切な「子育て支援」があってしかるべきではないかな。。。と、自分が初めての子どもを育てながら、そして、発達障害の人への支援をしながら、いつも思っています。