専門家の知見と素人の集合知は、どちらを重視すべきでしょうか?
原発の問題も、原発の専門家が行う判断に任せるよりも、多くの人が経験や直感から考える懸念などをもとに判断したほうが、より質の高い意思決定につながるという意見もある。
政府の政策決定も、これまでは専門家を集めた有識者委員会を作り、そこでの議論を意思決定の参考にしていました。でも、もっと直接的に国民の声を吸い上げたほうが質の高い政策が作れるのではないかという声もあります。
反対に、専門家でなければ分からないこともあるので、やはり彼らの意見を重視すべきだという意見もあります。
国民一人一人からの意見を吸い上げることが技術的に可能になっている時代において、専門家の知見と素人の集合知のどちらを重視すべきでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
専門家とは、主に従事している人のことですよね。情報化社会により、一般人でも専門家のデータベースにアクセスできるようになりましたが、そのデータベースを構築しているのが専門家です。原爆被害者の被曝線量と発がん率のデータを我々が知ることができるのは専門家が地道にデータを蓄積したからです。データの信憑性を一般人では精査することは難しいので、信じるか信じないかは個人差があると思います。
未来を見据えているとのことですが、化石燃料枯渇についてはいかがでしょう?未来の子供達のために少しでも残しておいた方が良いという考えは正しくないでしょうか?地球温暖化や大気汚染についても同じです。
原発を止めたら、原発技術者を福島に集結できるのでしょうか?原発技術者が集結すれば福島の事故処理は早くなるのでしょうか?私は専門家でないので分かりませんし、その決議権がない私にはネットで調べるモチベーションが湧きません。でももし事故処理が早まるなら是非実行して欲しいですね。
ファストライフについて。私は人間の身体が対応できるエネルギー密度を超えてしまっていると思うんですね、バッファローマンが悪魔パワーを制御できなかったように。20世紀の変化が大きすぎて、一部の人々の脳みそは無理なく対応できるほどの進化を遂げていないと思うのです。エネルギー密度を下げれば電力が不要になる、そんな発想です。原発はそういう意味で『文明災』だと思うのです。
エコ意識は日本人のプリンシプルに組み込まれましたが、スローライフはまだです。この社会で自分だけで進めるのは自殺行為になる恐れも、、。GDPを減らす行為ですから、政治的にも色んな問題が発生するでしょう。でもこれなしの原発停止は私には考えられません。