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あなたが意見を変えるのはどのような時ですか?

僕は現在、エネルギー安全保障の観点から原発容認派です。けれども原発反対にならないとも限りません。確かに事故の危険性や人々に与える不安を考慮すると、「本当に原発容認でいいのか」と判断は随時揺れ動いています。逆に、「原発は絶対にダメだ」と言っている人が、燃料需給が本当に切迫して、にっちもさっちもいかなくなってきたら、「多少のリスクはあっても利用できるものは利用すべきだ」と考えを変えるかもしれない。でもそれでいいと思うんです。絶対に意見が変わらないという人ばかりだったら、それはむしろとても危険なことのような気がします。

そこで今回みなさんに聞いてみたいのは、「どのような時に、どのようなことをきっかけとして、自分の意見を変えますか?」ということです。原発問題や消費税問題など、具体的な議論について述べていただいても結構です。

ご意見お待ちしています。

NO.6   yamadaswitch 2012/05/23 11:55:50 合計 0pt.

ご無沙汰しております。久しぶりの投稿です。

no.4に書き込まれたchigusaotsukiさんのご意見に、私の意見は近いかもしれません。

「そうか~、幸福について議論するって、新しいなあ!」
と感心していたところです。

自分が意見を変える時、私は
自分の意見が変わる種というものを、心の中に持っているようなのです。
意見が変わると、これからの行動が変わるかもしれないので、地味ですが私にとっては大きな意味合いを持っています。

その心の中にある「意見を変える種」は、最初に生まれた時は「違和感」として登場します。

「あれ? なんで私、こんなことにひっかかっているんだっけ?」

みたいな、小さな違和感です。

その違和感を、急に言葉にしたりしないで、自分は育てるようにしています。
育て方は簡単です。放っておくんです。
そうすると違和感の種を土に埋めたまま、
私の生活は進みます。種が生まれて6ヶ月も生活を続けると、季節も変わるし、自分の状態も勝手に変化します。

気づかないうちに細胞分裂や日々、少しずつ訪れる小さな情報や友人の発言によって、
だんだんに変化し、
6ヶ月前の自分とは別の生き物になっているのです。
そうなった時に、あの種を見てみると、
あらまあ、不思議。
芽が出ているではありませんか。

6か月前に「違和感」としか感じられなかったものが、芽を出しているんです。
そうするとその芽に対して、違う気持ちで取り組むことができます。
でも、種が種のままだった時に、むりやり光を当てて発芽させようとしても、
うまくはいきません。もし発芽したにしても、それは無理矢理の変化なので
体と心がついてきてくれないのです。

情報は、頭の方で処理しますが、頭だけ先に進んでいってしまっても、
自分の心と体がついてこれていないと、どうしても不具合が生じます。
なので、考えが変わる時は何ヶ月かの時間をかけて、ゆっくりと
心と体も納得できるように変化するのが
いいかなあと思うんです。

原子力の問題に関しては、早稲田大学商学研究科の
西條剛央さんの「分けて考える」という
方法が、今のところ私にはぴったりくると思っています。

引用・転載可ということなので一部分を引用させていただくと、

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「原発は止めない方がよい」という人は
「原発停止による経済の停滞を起こさないこと」に関心があるはずです。

経済の発展は震災復興を下支えするものになります。
他方で「原発は即時止めるべき」という人の関心は
「安全の確保」にあるはずです。

このように,ある関心からみるとそれぞれ妥当なものなのです。
それではこうした背反する考えを調停するには,
どのように考えればよいのでしょうか。
それは「原発は是か非か」ではなく,双方の関心を織り込む形で,
「原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか」
といった形に問い方を抜本的に変えるという点が,
最も重要なポイントだと考えてます。

こうした構造構成主義の観点から
「ひろくわかりあうための原発論」について論じていますので
参考にしていただければと思います。
→ http://p.tl/etHN

――早稲田大学商学研究科 西條剛央

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こんな風に、どうしたら良い方法を生み出せるのかを
考えられる良い時期に私たちは、来ているのではないでしょうか。