あなたが意見を変えるのはどのような時ですか?
そこで今回みなさんに聞いてみたいのは、「どのような時に、どのようなことをきっかけとして、自分の意見を変えますか?」ということです。原発問題や消費税問題など、具体的な議論について述べていただいても結構です。
ご意見お待ちしています。
実際のデータで判断できることではなく、生き方につながる問題の場合、思いがけない新しい視点や、全く質の違う考え方に出会って、成程!と腑に落ちたとき、私は意見を変えると思います。
NO.2yuetnusさんの、新たな事実や解釈、状態の変化を知った時
NO.3fuuninさんの全く違う角度、面から指摘され、自分の考えが部分的、一面的だと分かった場合
NO.6 yamadaswitchさんの、自分の意見が変わる種というものを、心の中に持っているようなのです。心と体も納得できるように変化するのがいいかなあと思うんです。
特にyamadaswitchさんの考え方が、しっくりきます。
原発に関しては、どのように生きたいか、ということとつながってくると思います。そう考えると、詳細なデータ、正しいデータがわからない今、ここでの判断は、NO.1 orcamieさんのように、揺れ動いています。でも、最終的には、少なくとも地震大国日本では、脱原発へ向かってほしいと思います。エネルギー政策面で言えば、天然ガスや地熱、自然エネルギーで、特定国への依存度を下げ、できるだけ自国で賄えるようにしていく。それでも無理というのなら、経済的な負の影響を考慮しても、エネルギー消費量を減らす方向にシフトしてほしいです。安全保障のために、原発を持ち続けるという意見には、疑問を感じます。核兵器の悲惨な被害を知っている今、どんな理由であれ、再び核兵器を使用した国は、国際社会で受け入れられるだろうか?国際的な信頼を保ちたいと思うならば、どの国も使用することをためらうのでは?と思います。使うことはできないが、脅しで持つ、争いを抑止するために持つ、というまやかしはもう通用しない時代になってきた、という感覚が、オバマさんの核廃絶に向けた演説を可能にしたように感じます。
NO.4 chigusaotsukiさんの、どんな幸せを、感じてほしいと、願っているのか、
幸福についての議論を高めることで、
個人の意見は、国の政策は、変わるような気がしました。
に共感して、国際平和について考えると、疑心暗鬼が根底に横たわる核抑止力に頼ることは、真の平和の実現にはつながらないと感じます。