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あなたが意見を変えるのはどのような時ですか?

僕は現在、エネルギー安全保障の観点から原発容認派です。けれども原発反対にならないとも限りません。確かに事故の危険性や人々に与える不安を考慮すると、「本当に原発容認でいいのか」と判断は随時揺れ動いています。逆に、「原発は絶対にダメだ」と言っている人が、燃料需給が本当に切迫して、にっちもさっちもいかなくなってきたら、「多少のリスクはあっても利用できるものは利用すべきだ」と考えを変えるかもしれない。でもそれでいいと思うんです。絶対に意見が変わらないという人ばかりだったら、それはむしろとても危険なことのような気がします。

そこで今回みなさんに聞いてみたいのは、「どのような時に、どのようなことをきっかけとして、自分の意見を変えますか?」ということです。原発問題や消費税問題など、具体的な議論について述べていただいても結構です。

ご意見お待ちしています。

NO.7   masami 2012/05/30 11:51:13 合計 0pt.

実際のデータで判断できることではなく、生き方につながる問題の場合、思いがけない新しい視点や、全く質の違う考え方に出会って、成程!と腑に落ちたとき、私は意見を変えると思います。

NO.2yuetnusさんの、新たな事実や解釈、状態の変化を知った時
NO.3fuuninさんの全く違う角度、面から指摘され、自分の考えが部分的、一面的だと分かった場合
NO.6 yamadaswitchさんの、自分の意見が変わる種というものを、心の中に持っているようなのです。心と体も納得できるように変化するのがいいかなあと思うんです。

特にyamadaswitchさんの考え方が、しっくりきます。

原発に関しては、どのように生きたいか、ということとつながってくると思います。そう考えると、詳細なデータ、正しいデータがわからない今、ここでの判断は、NO.1 orcamieさんのように、揺れ動いています。でも、最終的には、少なくとも地震大国日本では、脱原発へ向かってほしいと思います。エネルギー政策面で言えば、天然ガスや地熱、自然エネルギーで、特定国への依存度を下げ、できるだけ自国で賄えるようにしていく。それでも無理というのなら、経済的な負の影響を考慮しても、エネルギー消費量を減らす方向にシフトしてほしいです。安全保障のために、原発を持ち続けるという意見には、疑問を感じます。核兵器の悲惨な被害を知っている今、どんな理由であれ、再び核兵器を使用した国は、国際社会で受け入れられるだろうか?国際的な信頼を保ちたいと思うならば、どの国も使用することをためらうのでは?と思います。使うことはできないが、脅しで持つ、争いを抑止するために持つ、というまやかしはもう通用しない時代になってきた、という感覚が、オバマさんの核廃絶に向けた演説を可能にしたように感じます。
NO.4 chigusaotsukiさんの、どんな幸せを、感じてほしいと、願っているのか、
幸福についての議論を高めることで、
個人の意見は、国の政策は、変わるような気がしました。

に共感して、国際平和について考えると、疑心暗鬼が根底に横たわる核抑止力に頼ることは、真の平和の実現にはつながらないと感じます。