日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
日本人が個人として自立するためにどうすればいいか?
私の考えとして、『日本人が個人として自立する為にはどうすればいいか?』は、“格好良さ”つまり、生き様を考えられるようにすることだと思います。
自分自身も自立できるているか不安になるのですが、自立が何を持って自立なのか?というところによるのでしょうか。私自身の中での『自立』とは、“格好良さ”を自分の中で定義付けられるかどうか、だと考えています。
それは容姿や服装など外見でもなく、性格や雰囲気といった内面とも違った、自らの人生における格好良さとでも言いいますか…。
イチローを見てもカッコいいし、中田英寿を見ても格好いい、田中角栄氏もカッコいいし、アムロ・レイだって格好いい。じゃあ、そのかっこよさは何処から来ていて、彼らの何処に惹かれるのか、ということを考えると、『生き様』です。
自らの生き様を決めている人の言葉には、心の奥底にある何かをガリガリと音を立てながら引き出し、尚且つ、我々に対して問題提起をしてくれます。
人の心を突き動かす言葉を持っている人の生き様は、果てしない地平線のようであり、朝焼けの太陽の様でもあります。
日本人一人ひとりが自分の生き様を考え、自分が誰であり、何が出来る、また、何をしたいのか、を明確に話せるようにすることで、日本人の自立に繋がるように考えております。