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「正しい英語」あるいは「正しい日本語」はあると思いますか?

一時期、僕が書いている英語のブログに、オックスフォード大学にいる日本人の方が「茂木の英語はなってない」とすごく絡んできたことがありました。今ではもう仲良くなったんですけど、当時はすごく困りました。似たようなケースはツイッター上でもあります。

そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。

みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。

ご意見お聞かせください。

NO.7   trasque 2012/06/12 01:17:23 合計 0pt.

私は正しい日本語(英語)はあると考えます。

何をして正しいとするのかという問題があります。私は「最も意を正確に伝えられる事」が正しいものとして良いのではないかと思います。ある発言が、最も相手へ正確に伝わるのであれば、それは正しいと言えるでしょう。

では、最も正確に伝える為には何が必要なのでしょうか。
実物を見せるという方法があったり、言葉を選んだり、あえて真意を隠して自ら思考するよう促したり。色んな方法があると思います。脳の研究などにも絡むのかもしれませんが、ただ伝えると言ってもその効果は千差万別で、その時の条件、前提になる知識、受動か能動か、というように複雑なものなので一概にコレが最も正確に伝わると一言で定められるものではありません。

ですから、文法とは「相手へ出来るだけ正確に伝えるための方法・道具」の一つにすぎないと私は考えます。ある言葉の意味を正確に扱う事は「思いやり」でもあると思う訳です。ある言葉の意味が多くの人へ正確に共有されているならば、できるだけそれを選んでみたりする訳です。

赤と言えば、HTMLなら#FF0000で現される色です。何か周波数で定められた光の問題でもありますが、それが「赤の正確な意味」なのでしょうか。「正しい日本語=文法」としてしまう事は、このような事へ答えられなくなってしまうと思います。

必要なのは「相手への誠実さ」ではないでしょうか。
可能な限り意味が共有されている単語を使うことは、相手も同じ意味を想起する可能性が高い事を意味します。それを適切な文法で、複数の異なる意味に捉えられないように使用する事は、さらに正確に伝わる可能性が高まる事も意味します。
相手にしっかり伝えたいという誠実さから「できるだけ正確な文法を使おう」という態度が現れるのではないでしょうか。言葉の意味を正確に使おうという意識は、何より「相手のため」であるはずです。

一方で、大変な話ベタで、語彙も少ない人でも、その話に感動させられる事があったりします。
先にあげたように「最も正確に伝わる」為の条件は、とても複雑なものです。
キレイに話すこと、語彙が豊富なことは、それらの可能性を上げることに間違いはありません。
しかし、その条件がそのまま相手にあてはまるとは限りません。


私が住む家の近所に、言語障害を持つ高校生の少年が住んでいます。
思考に問題はありませんが、文字や言葉の読み込みと表現にとても時間がかかってしまう障害です。
何か言いたい事があっても、適切な単語を思い起こすまでに時間がかかり、また人の話も単語ごとに分割するだけでさえ時間がかかります。また、簡単な単語でなければ把握できないということもあります。

彼は運動部で活躍したりする元気な子です。
そんな彼と話をする時、私の方に「豊富な語彙」が本当に必要かと言うと、やはりそれは違うのだと考えさせられます。必要なのは「どうしたら彼に伝わるか」の一点の問題なのです。この言葉なら伝わるか?ではこの言葉なら? 彼が言いたい事は何か?もしかしたらこんな言葉で確認できるかもしれない。 そういった事を集中させていけば、しっかり彼と意思疎通ができます。
それが「最高に」正確な意思疎通であるかどうかは私にはわかりません。それでも、限られた言葉数の中で私と彼はお互いに伝えたい事を伝える事ができます。であれば、それは「正しい日本語」として問題はないのではないかと考える訳です。

小説の評価が人によって異なることも、その読者の人生経験や、著者の人となりと背景を知っているかどうかなどが入ってくるからだと思います。比喩が多かったり、あえて伝えたい事を書かないという事も、一度読者が思考する余地を挟む方が伝わると考えた「誠実の結果」だと思います。

「文法」をプログラミング的に捉えてしまえば、書いていないことは全て存在しない事になります。しかし、伝える為には自分と相手の差異を常に探っていかねばならないことは自明です。であるなら、正しい日本語とは「文法だけにとどまらないもの」であると言えるのではないでしょうか。


単語を間違わずに使う事は理想です。文法もできるだけ正しい方が良いでしょう。
でも、それらを目的にしては意味が無いと私は考えます。
どうしたら「最も伝わるのか」という誠実さを、忘れてはならないと思います。
そしてそれが「正しい日本語」だと私は考えます。