「正しい英語」あるいは「正しい日本語」はあると思いますか?
一時期、僕が書いている英語のブログに、オックスフォード大学にいる日本人の方が「茂木の英語はなってない」とすごく絡んできたことがありました。今ではもう仲良くなったんですけど、当時はすごく困りました。似たようなケースはツイッター上でもあります。
そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。
みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。
ご意見お聞かせください。
そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。
みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。
ご意見お聞かせください。
言葉がなぜこんなにたくさんできたか、考えてみました。
世界中に散らばって、それぞれの土地で交流できる範囲内で言葉が発達したから?
言葉は、それぞれの土地での人々の生き方と密接につながっているからかな、と思いました。
そして今は、それぞれの土地に居ながらにして、世界中の人たちと会話ができる時代。
言葉を使う人間にとって、新しい時代に突入したように思います。
これまでも、それぞれの言葉は変化してきており、これからはもっと変化し続けるかもしれない、と感じます。
そして、
インド人が話す英語、シンガポールの人が話す英語の特徴…
という表現があるように、第二外国語として英語を使う人たちの間の交流が増えるにつれて、母国語としての英語とは異なる、世界共通言語としての英語のルールが出来上がってもおかしくないかな、と感じます。
昨年のニュースだったか、アメリカでは、いわゆるマイノリティーの出生数が全体の50%を上回ったとのこと。
この現実は、アメリカで使われている英語にも少しづつ影響を与えるように思います。
言葉の正しさにこだわることが、外国語の習得の壁になるとも感じます。
学問、政治、経済、遊び、等あらゆる世界で、新しい単語や言葉の使い方が生まれています。
日本でも、数十年前に比べると、言葉の変化がかなり柔軟に受け入れられるようになってきているのではないでしょうか。
ということで、言葉は変化するものであり、その時代に通じる言葉はあっても、正しい言葉はない、と思います。