「正しい英語」あるいは「正しい日本語」はあると思いますか?
そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。
みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。
ご意見お聞かせください。
No.8でmasamiさんが 『言葉は変化するものであり、その時代に通じる言葉はあっても、正しい言葉はない、と思います。』正しい言葉はないとおっしゃるので 少々考えました。私もそれほど正しい言葉に重きを置いてませんが 現在論理的ということにこだわっていて、野矢茂樹さんの「初めて考えるときのように」という本を読みました。そこで野矢さんは考えるのには言葉は不可欠だとおっしゃっていて、たとえば『無い・不在』ということを表現するには言葉が必要だとありました。『月がある』ということは月の絵や写真を見せる事で表現できますが『月が無くなった』としたら沈んだのではなく、その存在が無になってしまったら、それを絵や写真で示すのは難しく月の不在を示すのには言葉が必要だという風な説明がありました。言葉がたくさんあるのは 言葉でしか説明できないことがたくさんあるからなんだろうと思います。正しい言葉というのは絶対的な存在ではなくて、その時代や状況に応じてアメーバーのように形を変えてあるのではないかと思います。それについては masamiさんと同じ考えだと思います。しかしコミュニケーションが成功した時 ある意味正しい言葉が使われたと言ってもいいのではないでしょうか。正しい言葉は 他に言い換えたら その場にふさわしい言葉といってもいいでしょうか?自分の中でそれについて迷いがありますが。それに 正しい言葉で話すということは、必ずしも正しい文法で話すとは違うことなんじゃないだろうかとも考えています。
つまり、その1;正しい文法を使っていなくても 正しい言葉があって、それを使ってコミュニケーションできる。また その2;正しい文法をつかって、正しい言葉を用いたら それもかなりの確立でコミュニケーションは成功すると思われます。しかしその3:正しい文法を用いても 正しい言葉を使わなかったら コミュニケーションは成功しないのではないかと思われます。
その1の例 「寒い、とても、私」「cold, very much, me」何となくこの人は寒いとわかりそう
その2の例 「私はとても寒い」「I'm very cold.」→これはばっちりわかる。
その3の例 「私はとても熱い」「I'm very hot.」→これはこの人が寒いとは絶対わからない。
非常に極端な例ですが、野矢さんの前述の本に載っている例がおもしろくて 正しい言葉の考察にちょっとまねしてみました。これでいいのかなと心もとない点もありますが、どなたか論破してくださると、それもまた面白いなと思っています。