「正しい英語」あるいは「正しい日本語」はあると思いますか?
一時期、僕が書いている英語のブログに、オックスフォード大学にいる日本人の方が「茂木の英語はなってない」とすごく絡んできたことがありました。今ではもう仲良くなったんですけど、当時はすごく困りました。似たようなケースはツイッター上でもあります。
そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。
みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。
ご意見お聞かせください。
そういう方たちは大抵すごく知性派です。実際、語学力も高いのでしょう。だから文法的な傷があったりすると気になるのはわかります。ところがネイティブと話していて、「君の英語は間違っている」と言われることはほとんどありません。どうも「言葉を正しく使う」にこだわるのは日本人の特性のようにも思えます。
みなさんは、言葉を「正しく」使うということは、どのくらい大切なことだと考えますか。また、そもそも「正しい英語」あるいは「正しい日本語」というものがあると思いますか。
ご意見お聞かせください。
その3の例に関係して「私は暑くない」というのはどうでしょうか。
文法としては正しく、例1、例2と言っている事と反目はしない内容で、かつ「寒いこと」は分からない。
この例で使うべき「正しい言葉」は何なのか。その2の例が最も伝わる事だとすれば、この時話者は「私が寒い状態にある」事を伝えたいのだという目的があるのだと分かります。
ですから、私が言い換えたその3の例「暑くはない」という言葉は、この時には正しい言葉ではない。
もし、目的が「暑くはないことを伝えたい」のならば、正しい言葉は「暑くはない」になります。
その場にふさわしい言葉とは「目的に合致しているか」で決まるのではないでしょうか。
そう考えると、正しい日本語があるとすれば、それは文法だけではなく、目的にあった言葉の選択が少なくとも関わってくるのだと思えます。
目的を持つ事は、簡単なようで難しいことのように思います。
思えば、普段の会話で目的の無いことばかりを話しているような気もします。
ですが、目的を第一として重視しすぎるとそれはまた「伝われば何でもあり」になってしまいます。
例えば「ら抜き言葉」とか。(これの是非については諸説ありますので、それを議論するものではありません)
本来の読み方とは異なるにも関わらず、そうではない読み方が定着してしまった言葉とか。
やはり、まず第一には「どうしたら伝わるのか」という相手ありきの考え方に重きを置くべきかと思います。
その為には、様々な文法(キッカリしたものから、ゆるいものまで)、幅広い語彙、そして明確な目的があるほど良いのではないかと思います。