日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
おっと!結局三番手か(笑)
本題がかなり難解なので、最初に「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」というところから入り、最後に「日本人が個人として自立するためにどうすればいいのか」という問題に戻って考えたいと思います。
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まず、重要と思われることは、自分の進むべき方向性をしっかりと把握し、その方向に進んでいる自分の状態の評価も徹底して自分で行うということではないでしょうか。特に、状態の評価という点に関しては、絶対に他者に譲ってはいけないと思います。他者の評価に依存するようになると、いつの間にか方向性までコントロールされているということが多いように思います。
僕は、サン・テグ・ジュペリが著作の中で記述している「本然の生」というものが、人間個人の中に存在すると思います。本然の生は、生まれた時から個人個人の中にあって、それぞれ違った方向性を持って開きつつある。しかし、その方向性は個人個人で異なるから、自分で自分を適切に育てなければ、本然の生はなかなか実現されないのです。
これまでの長いとは言えない経験からも、人が、周りの評価基準に、いつも強い影響を受けてしまうことがわかります。気を付けないとすぐに主流の評価基準を自分のものであるかのように錯覚し、そのベクトルへと自分を無理矢理合わせて、自分をダメにしてしまいます。
自分が他者の評価基準で生きているか、あるいは自分のもので生きているのかは、感覚を研ぎ澄ませれば識別することが可能だと思います。自分の価値観で生きているときには、単一なモチベーションが自分を進ませているけれども、他者の価値観を自分に押しつけている時は、いつも「評価されないのではないか」という恐怖心がモチベーションの背景となっている感覚があります。
自分で自分を評価するやり方は、常に独善的になってしまう危険性があります。独善的・硬直的にならないためには、自分が評価基準と見なしたものをいつでも捨てられる潔さと、常に、評価基準を絶対視しないで仮説として扱う柔軟性が必要だと思います。結局、自分をどの方角に導くか、常に微調整しながら、自分が成長できるように配慮した人が、最終的に強さを獲得するのだと思います。
自分の方向性を柔軟に見極め、他人の評価に依存しないことが個人を強くするのだと思います。
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■日本人が個人として自立するためにどうすればいいのか?
まず、自立を、他者の評価に依存せず、自分を自分で評価できるようになることと捉えたいと思います。そのためには、自分の進むべき方向性を、その時々で敏感に察知し、捉える能力を磨くこと。また、自分が進むべき方向に正しくアプローチしているかどうかを懐疑的に分析できる能力(ロジカルな思考)を磨くことも必要だと思います。
今回のテーマに含まれている「日本人」という部分については、僕は、それほど本質的な要素とは思いませんでした。ただし、地域的に、マジョリティーの評価基準を押しつけがちな文化と、その圧力がある程度緩和されている文化はあるかもしれません。しかし、これは程度問題であって、本質的に抱えている問題は、あまり変わらないと思います。
最後に、どうすれば、日本は自立した個人を生み出せるのかという点です。この点に関しては、orcamieさんと同じ意見です。僕も、教育が最も重要な役割を果たすだろうと思います。幼いときから、個人の特殊性を重視した、柔軟でオーダーメイドの教育があれば、個人の特性が最大限に育てられる可能性が格段に上がるでしょう。生徒自身が「本然の生」とその方向性を捉えられるような手助けをする教育が、なによりも必要です。
理想の組織と同じですが、そのような教育はほとんど存在していません。そこで、まずは自分を自立させることから着手し、同時に新しい教育の在り方を模索し、実験していくことが必要となるでしょう。