再び原発について問いたい
今号の時評や7月1日の連続ツイートでも書いたように、今、大飯原発の前で、二つの文化が向き合っているのだと思います。文明を支えるシステムと、直観や感情などを伴った個人としての人間。おそらく、どちらだけでも人間は成り立ちません。この二つの文化は、どこかで出会わなければならない。
原発の問題は、相変わらず重苦しく、そう簡単にはすっきりした答えは出ません。ただ、私は、現在のやっかいな状況をもう少し引き受け続けたいと決断しました。この掲示板でも、あらためてみなさんからの意見を集めてみたいと思います。
再稼働が決まり、反対デモが起こる中、原発について私たちが考えるべきこと、すべきことは何だと思いますか? ご意見お聞かせください。
原発の問題は、相変わらず重苦しく、そう簡単にはすっきりした答えは出ません。ただ、私は、現在のやっかいな状況をもう少し引き受け続けたいと決断しました。この掲示板でも、あらためてみなさんからの意見を集めてみたいと思います。
再稼働が決まり、反対デモが起こる中、原発について私たちが考えるべきこと、すべきことは何だと思いますか? ご意見お聞かせください。
trasqueさんの言うように「語る勇気を持つ」事は重要なことだと思います。ただし、そのためにはオープンな情報共有の上でという前提があるかと思います。また、chigusaotsukiさんの言うように原発問題を科学として語るのであれば、必要な情報を公開した上で他者が検証できうるものである必要があります。ところが、今の日本の原発についてはどうでしょう。日本政府、管轄省庁及び電力会社が他者が判断できる情報を十分に公開していると言えるでしょうか。事故後の政府の発表、SPEEDI情報への対応、避難指示、東電の会見、国会での事故調への情報提供、電力需給データ、そして最近の大飯原発再稼働の対応まで。どれも十分な情報公開が行われ、国民が判断できたとは到底思えません。
このような不十分な情報のもとで、一方では電力需要をカバーするために原発の再稼働は必要だとする「冷静な」人々があり、他方では脱原発デモを行う「感情的な」人々が対立しているのが現状ではないでしょうか。今考えなければならないのは、このような現状での対立や議論ではなく、必要な情報を開示する体制(政府、公官庁、電力会社、マスコミ)を如何に実現するかということであり、すでに起きてしまった福島原発事故の客観的な原因分析と法に基づいた公平な責任追及ではないでしょうか。未だに10万人以上もの人々が故郷に帰れずにいるというのに、事故を起こした電力会社には家宅捜査も入らず、誰一人逮捕もされず、活断層の存在を疑われる大飯原発は調査を拒否したまま、再稼動されてしまう現状なのですから。