再び原発について問いたい
原発の問題は、相変わらず重苦しく、そう簡単にはすっきりした答えは出ません。ただ、私は、現在のやっかいな状況をもう少し引き受け続けたいと決断しました。この掲示板でも、あらためてみなさんからの意見を集めてみたいと思います。
再稼働が決まり、反対デモが起こる中、原発について私たちが考えるべきこと、すべきことは何だと思いますか? ご意見お聞かせください。
今、日本人は話し合いによって物事を解決する方法を知りません。あまりにも本音と建前が乖離して、聴衆の前では、建前論ばかりが横行し、本音が出たときには、演壇から退場ということが、恒常化してしまいました。それに反して、本音は匿名でいいたい放題というのが現状だと思います。本来ならば、本音を隠して、建前をいうことは、大嘘つきだということになるのでしょうが、本音を人前で発表できるほど人間性が育っていないのが今の大方の日本人だと思います。そこで、今度は建前だけで何が出来るかということなのですが、本音と違う建前は、誰も取り扱いが得意でなく、結局、官僚や、評論家、マスコミに丸投げという誠に自主性のない烏合の衆が、例えば原発賛成、反対の双方に現れてしまいます。たとえ、いろんな情報が公開されたとしても、一人一人がその情報を読み解き、議論を尽くして妥協点を見つけるといった、民主主義の理想は今の日本では、絵に描いた餅だといわざるを得ません。
それは、西洋民主主義を表面だけ移植したからだと切って捨てるのは簡単ですが、せっかくツイッターを通して、話し合う方法の端緒くらいは見えてきたところですから、この件を突き詰めることによって、日本文化の欠陥、虚弱性を洗い出し、新しい日本へ向かって歩き出すチャンスだととらえることも出来ると思います。
私は、将来に向かっては、ずっといわれてきた、今の偏差値依存養育から、個性尊重教育に本気(本気が何よりも大切)になって切り替えるのが、遠いようで、実はもっとも確実、しかも最短で結果が得られる方法だと思っています。当然、これは、社会全体が一丸となって取り組まなければ何の成果も期待できないので、一人一人が、自分と社会のあり方を見つめ直さなければならないということになるでしょう。社会の中での自分という位置が確認されたとき、匿名性は消え、本音と建前が違うという矛盾が解消されることになるでしょう。
しかし、勿論、ことはそう簡単に進む訳ではなく、これからは、我々自身に染み付いた、なじみ深い捨てがたい価値観、特に偏見に類するものたちと、これから徐々に向かい合っていかなくなることは覚悟しなければならないのだと思う。
纏めていうと、
偏差値依存教育によってもたらされた今の世間というエゴイストたちの大海を、新しい命を育てることによって浄化し、明日に向かう新しい価値観を創造することが、原発問題を始め、我々に突きつけられた日本の生存に関わる難問に対処する、おそらく唯一の道であろう。