再び原発について問いたい
原発の問題は、相変わらず重苦しく、そう簡単にはすっきりした答えは出ません。ただ、私は、現在のやっかいな状況をもう少し引き受け続けたいと決断しました。この掲示板でも、あらためてみなさんからの意見を集めてみたいと思います。
再稼働が決まり、反対デモが起こる中、原発について私たちが考えるべきこと、すべきことは何だと思いますか? ご意見お聞かせください。
最近の反原発・脱原発のデモや言論を見聞きしている限り、自分たちの生活は今のレベルのままで原発は無くせ、原子力も放射能も悪で自分たちは正義なのだ…という風にしか聞こえません。こんなのはいくら大声を張り上げても「音」にしか聞こえないと思います。
私は現在36歳ですが、親からは「みんな我慢しているんだからあなたも我慢しなさい」と言われ続けて育ったわけですが(いつも集団からはみ出てた)、今のデモに並んでいる人たちも当然「みんな怒っているんだ」という理由なわけです。これらは集団の中に個を埋没させる事で身を守る行為です。
つまり、親からの忠告は、はみだして危険な目に合わないようにという親心から。デモの群衆は自分の身は危険に晒さずに悪い奴を叩くという、匿名性の高い行為です。
いづれにしても「横並び」「匿名」「懲悪」という日本人の3大病理から抜け出さない限り、次のステップへは進めないのです。
さて、茂木先生からのお題ですが、私は人類が発展途上なのと同じように原子力利用もまた発展途上なのだと思います。人人がエネルギー消費型の文明を捨て去るのであればそれでも構いませんが、これ程便利な世の中、そうは成らないはずです。であればエネルギーをいかに創り出すかを本気で考えるべきです。また利用するエネルギーが何に由来しているのかをモニターできる仕組みや、利用者が選んで購入できるような仕組みがあれば、いがみ合う必要もなくなるんじゃないかと思います。
環境保全を考える家庭では高くても風力・太陽光由来の電気を契約し、そうでもない家庭ではリーズナブルな原子力由来の電気を購入するなど…。
未来予想図を描く想像力があるならば、需要と供給の適正なバランスを取りつつ新しい技術の発達を待っていても良いのではないかと思います。
蛇足ですが、私が小学生の頃、21世紀はどんな世界になっているんだろう?というお題で絵を描いた記憶があります。明るくて、カラフルで、ガラスチューブの中をタイヤの無い車がスイスイ走っていたり、宇宙までエレベーターが伸びていたりと、夢がいっぱいに溢れていました。
今は確か2012年です。夢にまで見た21世紀です。あと100年もしたらドラえもんだって誕生します。大の大人たちが右往左往していて、子供たちが夢を見られますか?
鉄腕アトムは原子力が動力だからけしからんという大人たちこそ糾弾されるべきだと…想像力の無さが人人を分断し孤立させるのだと…豊かさの指数や単位には複数の基準があるのだと、私は思います。