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再び原発について問いたい

今号の時評や7月1日の連続ツイートでも書いたように、今、大飯原発の前で、二つの文化が向き合っているのだと思います。文明を支えるシステムと、直観や感情などを伴った個人としての人間。おそらく、どちらだけでも人間は成り立ちません。この二つの文化は、どこかで出会わなければならない。

原発の問題は、相変わらず重苦しく、そう簡単にはすっきりした答えは出ません。ただ、私は、現在のやっかいな状況をもう少し引き受け続けたいと決断しました。この掲示板でも、あらためてみなさんからの意見を集めてみたいと思います。

再稼働が決まり、反対デモが起こる中、原発について私たちが考えるべきこと、すべきことは何だと思いますか? ご意見お聞かせください。

NO.21   orcamie 2012/07/16 01:12:16 合計 0pt.

こんばんは。
茂木さんが1度目に原発について話し合おうと言われた時と
この2度目と自分は何が違うかなと考えてみました。

no.20のmasamiさん「シェーナウの想い」の映画を見たのですね。
脱原発と言う問題を私が考えるとき
単に脱原発と言うだけでなく今ある文明や生き方をなるべく変えないで
実現できるかと言う事も考えます。
その答えはなかなか見つからなかったのですが
一つ希望を見つけました。
masamiさんの見られた「シェーナウ」と言うドイツの黒い森にある小さい街のお話です。
そのシェーナウの街の最初は30人位の人が送電網を買って
使いたい電気を使おうと考えて大きな電力会社に立ち向かっていく。
それを実際かれらは実現したのです。
どうかyoutubeでシェーナウで検索すると複数の映像がありますのでご覧になってください。

茂木さんが 「文明のシステムと個人」を対比させてました。
それで私は 村上春樹さんの エルサレム受賞のスピーチを思い出しました。
村上さんは 「壁と卵」と言う比喩を使われていました。

私が好きな壁は 「ぬり壁」です。
水木しげるさんの 「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪の仲間です。
「ぬり壁は」仲間を 危険から守るために敵に対して立ちはだかる。
けれど 守りきれないときは 仲間の方に倒れてしまう。
そんな時は ぬり壁だったら ごめん という。

非常にシンプルなことだと思うのですが
文明のシステムになると そういう人間性が欠如するのかなぁ。


ところで原発というシステムは 逃れることが難しい壁ではないでしょうか。
その恩恵を受ける人も、受けない人も
下敷きにならないようにできるかどうか。
それほど大きな壁であるような気がします。
すべての原発を止めても この原発という大きな壁を安全な状態にするのには
少しずつ小さくするしか 今のところないでしょう。
そして原発という壁、または放射能物質という壁に対して
すべての生物は簡単にくしゃっと壊れる卵の存在でしかない。

想像力のお話が出てきましたが。
想像と空想は少し違うと思うのです。
私が想像する日本の未来というか地球の未来は
緑豊かで 人間も動物も食べ物や水に困る事無く
それでいて科学が発達して 環境汚染など無い地球です。
私は 手塚治虫さんの「アトム」が大好きです。
「アトム」が原子力だからといって嫌いにはなりません。
手塚さんの創造した「アトム」が原子力でも
きっと手塚さんが今いらっしゃったら
太陽光の「アトム」を創造されていたのではないかと思います。

文明のシステムは 今曲がり角にあるような気がします。
古代エジプト文明から 一カ所に集中した文明は現代にまで
脈々と高度な文明を築いてきましたが
地球の環境を維持していくのに限界が来ているような気がします。
今までに 実に人間以外の多くの生物が絶滅していきました。

No.15のmasamiさんの『人間が、その人間性の良い部分を引き出せる、あるいは損なわずにいられる、また、その組織に積極的に関われる、適切な大きさの基本的な単位があって、それは国よりも、もっと小さい単位であるように感じます。
』と言う考えに私は大きくうなづきたいです。

民主主義の行き詰まりは日本だけの問題ではなく
アメリカでも、先頃のギリシャ危機のギリシャでも見受けられます。
現在の大きな政府では 緊急の問題が起きた時に
その責任がないがしろにされ、それゆえ問題が解決されない
弱い立場の人間が 苦しむという図式が見受けられます。 
文明のシステムをよりよいものに変える為には
大きな変革が必要なんではないだろうかと思います。
そしてその変革は 人間の生き方、文明のあり方を
変える事なのではないかと思っています。