トップ 書籍一覧 メルマガ一覧 ご利用ガイド サロン・通信講座

いじめについて

6月18日配信のメルマガで宣言した通り、今号からこの掲示板に「適塾システム」を採用したいと思います。システムは簡単です。これまでと同じように、僕からテーマを出しますので、みなさん活発に議論をしてください。ただし、今回からはメルマガ読者がみなさんのコメントについて、1~5の「評価」を付けることができるようになりました(5の方が高評価と捉えてください)。各テーマごとにもっとも評価の高かったコメントについては、僕がメルマガやツイッターで紹介します。また、年間の累計評価ポイントが多かった人には、何らかの表彰をすることを考えています。

適塾では、同じ塾で学ぶ塾生たちから高評価を得ようとみんな必死になって勉強しました。このメルマガ私塾でも、より一層の切磋琢磨をしていただけると嬉しく思います。

さて、今回のテーマは、「いじめ」についてです。個人の問題と社会の問題を同時に考えなくてはならない、とても難しいテーマだと思います。はたして、「いじめ」を根絶することはできるのか。根絶することなどできないとしたら、どのような工夫をすることでいじめられてしまった方のダメージを減らすことができるのか。みなさんのお考えをお聞かせください。

NO.5   Tomoikukai 2012/07/17 18:53:43 合計 23pt.

もう50年も前になりますが、私が小学校五年の時、昼休みに、ある女の生徒が親の職業のことでメモ用紙に悪口を書かれて、泣き伏したことがありました。その時、生徒からとても信頼され、私も尊敬していた担任の先生は、いつもの優しい顔を一変させて、その行為の卑怯さを毅然として諭し 、匿名の犯人に名乗り出るように告げました。しかし、そこで名乗り出るものは一人もなく、先生はその午後の授業を犠牲にして生徒全員を教室にとどめて、怒りに表情で、名乗り出るものを待ちました。その後の2時間余り沈黙のままに時がすぎましたが、解決のめどが立たないまま、下校の時間となりました。帰りのホームルームで改めて卑怯な行為を非難し、二度とこういう行為を起こさないこと求めて、少し遅めの下校となったのですが、犯人は見つからなかったとはいえ、生徒一人一人にとっては、その後の人生にとって印象ぶかく密度の濃い時間になったようで、それ以来クラスのまとまりは非常に強くなったような気がします。

ここで言いたいのは、戦後、民主主義に燃えた一時期、先生の中には学業よりも、人間として素晴らしい生徒を育て上げることを志した人たちがいたということです。塾というものもほとんど存在せず、こどもたちは自然のなかでおもいきり遊びまわっていました。子供達は親たちの関与しない自分たちの社会を作り上げ、自立して行く準備をしていたのだと思います。その中ではいじめもあり、激しい喧嘩や事故、怪我も多かったように思います。それらすべてを含んで、人が一人前になって行く教育だったのです。いじめもそれを教育の中で活用するという視点にたてば、決して闇雲に忌避すべきもでもないような気がします。但し、現在のようにその前の段階で、子供に社会ができていないうちに、いじめに耐えられるこころができていないで、自殺に走ってしまうということでは、とてもそうは、いっていられないのも確かです。イギリスでは、いじめの問題を、子供達が解決するような、教育的配慮がなされているとききましたが、これも、自立が遅れている日本では無理なのでしょうか。表面以上に隠れている教育、社会の問題の根がとても深そうです。

結局、今回、自殺に至った、いじめられていた生徒さんの背景も、一年に3万人が亡くなるという自殺する一人一人の背景も社会文化的に根は一つだということもできるかと思います。いつも言われることですが、このいじめの問題も、私自身の内面の価値観から離れたところで、人を批判して見ても、問題の解決どころか、ますます怨念の泥沼に引きずりこまれていくばかりのような気がします。

最後に、学校に塀を設け、うちから鍵をかけるというオープン化の真逆の閉鎖空間で、生徒をやみくもに偏差値で追い込んでいくという今の教育は、子供達を公に虐待していると見るのは私だけなのでしょうか。