トップ 書籍一覧 メルマガ一覧 ご利用ガイド サロン・通信講座

日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。

NO.8   YOtomo 2011/04/19 23:41:52 合計 0pt.

 第一回からのお話の流れを受けて、私は、「公」と「私」(「個人」)という関係性の中で、『個人として自立するためにはどうすればいいのか?』ということを、考察しようと思います。
 ここで考察する「自立」は、『「私」の「公」からの「自立」』を意味するとし、その「自立」について、2つの視点から考察します。一つ目には、「物」という視点、二つ目には「心」(あるいは精神)という視点です。この「物」・「心」両面から見た、「自立」の定義は下記のようになります。

(1)物的な「自立」
「私」は物的な支援を「公」に求めず、物的な支配を「公」から受けないこと。
(2)心的な「自立」
「私」は心的な支援を「公」に求めず、心的な支配を「公」から受けないこと。

(尚、「公」は、例えば、「私」以外の「他者」が属する「組織」としてとらえ、国や企業だけでなく、広義には、親子や家族なども含むことにします。)

 まず、(1)についてですが、人知れぬ山奥で、一人で自給自足ができるのであれば、達成することは可能かも知れません。そもそも、そのような状況にあれば、「公私」という観念自体も存在しないでしょう。
 しかし、「私」の日々の経済活動を観察すれば分かるように、この人間社会では、「私」は「公」に属して生きざるを得ないのが現実でしょう。役務提供による所得、衣類・食料などの消費財、電力・ガス・水道などのインフラ、などについて、「公」に支援を求めなければ、「私」の生活は成り立ちません。それは同時に、法令遵守などの義務も含めた、「公」の支配(制約)を受けることになります。
 確かに、建物や土地などの不動産、預金や商品・有価証券などの動産などを「私」が蓄財する、ということ自体は、物的に「自立」するかのように見えます。しかし、それらは、財産権として、「公」によって保護されております。また、上記のような「公」との関係性が保たれる限りにおいて、「私」が物的に「公」から「自立」したことにはならないでしょう。こうして見ると、人間社会において、物的な「自立」などはありえない、と言っても過言ではないでしょう。
 そんな意味で、ここで大切なことは、「私」は物的には完全に「自立」することはできなくても、(2)のような、心的な「自立」を理想とすることはできる、ということだと思います。
 例えば、ある研究開発のプロジェクトに際して、「私」が「公」から資金(物的な支援)を提供されることになったとします。そのようなケースでは下記のようなことが想定されます。

・「公」が、資金を提供してくれる(物的に支援してくれる)からといって、「私」は「公」に心的な支援を求めず、心的に支配されることはない。(意識的に人に媚びたり、評価を気にしたり、人格的な批判に屈したり、権力に従属することはない、など)
・あくまでも「私」は「プロジェクトの成功」という目的にコミットメントする。

 逆に、もし「私」が「公」の立場にあるのであれば、下記のようなことが想定されます。

・「公」の立場にある「私」(公人)は、資金を提供する(物的に支援する)からといって、提供先の別の「私」(私人)に、心的に支援を求めず、支配することはない。(意識的に接待を求めたり、事務手続きを煩雑にしたり、人格的な批判をしたり、権力をふりかざしたりすることはない、など)
・あくまでも「私」は「プロジェクトの成功」という目的にコミットメントする。

 さらに、(2)について、さらに考察を深めます。
 「私」という存在は、「私」でない存在が意識・区別されてはじめて、その存在が明確になります。ここでは、「公」という存在が意識されるからこそ、「私」という存在が意識されます。またその逆も然りです。
 そのような意識下では、時に『「私」を立てれば「公」は立たず、「公」を立てれば「私」は立たない』、というトレードオフが生じます。
 例えば、ある行動(戦時中の殺戮、制裁など)を説明するのに、「私」は、「私」人としてはその行動をするべきではなかったが、「公」人としてそのように行動せざるをえなかった、といった、苦渋の説明がなされることがあります。
 このような観点から、(2)の状況は、心的な面(特に意識上)で、「私」が「公」から自立しているとは言えないでしょう。

 では、「私」が真に「公」から自立するためにどうすればいいのか、ということを簡単に申し上げます。

<結論>
「公」と「私」という意識的な区別を超え、ただただ「目的」にコミットメントする。

 「目的」は、人によって様々でしょうが、たとえどんな出来事に遭遇しようと、その「目的」を貫徹すべく実践できるかどうか、ということが、「私」に問われているのではないかと思います。そういった生き方こそが「私」の「強さ」になるのではないでしょうか。
 福沢諭吉先生の説かれたような「独立自尊」を日本人に根付かせるためには、そういった精神こそが大切だと心底共感できる人たちが、さまざまな場で啓蒙していくことが、何より重要だと感じております。