いじめについて
適塾では、同じ塾で学ぶ塾生たちから高評価を得ようとみんな必死になって勉強しました。このメルマガ私塾でも、より一層の切磋琢磨をしていただけると嬉しく思います。
さて、今回のテーマは、「いじめ」についてです。個人の問題と社会の問題を同時に考えなくてはならない、とても難しいテーマだと思います。はたして、「いじめ」を根絶することはできるのか。根絶することなどできないとしたら、どのような工夫をすることでいじめられてしまった方のダメージを減らすことができるのか。みなさんのお考えをお聞かせください。
皆さんの投稿を読んで、学校を今よりも開放的にする、多様な人たちが実際に子どもたちと関われるようにすることは、いじめへの対応になるのかな、と思いました。
もうひとつ考えたのは、いじめ、と決めてしまうことにいい面もあるけれど、負の部分もあるのでは?ということでした。
いじめといわれている状況は、大きく見れば人間関係の一つの在り方。投稿でもあったように、いじめる側といじめられる側が必ずしもはっきりしていない、誰が良くて誰が悪いか決めることが難しい場合が多いのではないでしょうか。(というか、あらゆることについてこう言えると私は思っていますが・・・)それを、いじめ、という枠にはめこむこと、いじめる側、いじめられる側、という関係に固定することで、状況を変化させることが、却って難しくなる場合もあるように感じます。
私は、どんな場合も、それに関わることが可能なすべての人が、そこで起こっている状況を変える可能性を持っていると思います。
NO.4 Chigusaotsukiさんの、
いじめを、根絶するためには、こんなふうに、
ひとりひとりが、考察する時間を、持ち、
足りない知識を、いろんな人から、学ぶことではないかと、思います。
に同感します。
考察する時間、どこかで自分の立ち位置を冷静に捉える目を持つことで、いじめといわれる状況に自分がどのように関われるか、考える時間を持つことがとても大切だと感じます。
私は、集団生活をする限り、人間関係においての葛藤(=いじめ?)は必ず生じると想います。
今回の大津の問題も、いじめがあるかないか、という部分に焦点を当てられたがゆえに、うまく対応できなかった、と言える面はないでしょうか?その後の報道も、いじめがあったかなかったか、に終始していることも、その他の学校での問題への対応に、影響を与える可能性があるのではないでしょうか?
いじめのない学校、と目標を掲げるよりも、葛藤も学びの一つとして、生徒も先生も、家庭や地域、社会とつながりつつ一緒に考えよう、という姿勢が、教育の現場で当たり前の感覚になってほしい、と思います。