いじめについて
適塾では、同じ塾で学ぶ塾生たちから高評価を得ようとみんな必死になって勉強しました。このメルマガ私塾でも、より一層の切磋琢磨をしていただけると嬉しく思います。
さて、今回のテーマは、「いじめ」についてです。個人の問題と社会の問題を同時に考えなくてはならない、とても難しいテーマだと思います。はたして、「いじめ」を根絶することはできるのか。根絶することなどできないとしたら、どのような工夫をすることでいじめられてしまった方のダメージを減らすことができるのか。みなさんのお考えをお聞かせください。
「どうして、周りが、いじめを止められないのか」ということについて
いろんな人に直接、聞いてみました。
正直に言ってくれた人達に感謝ですが、
結論。かばったことで自分がいじめられたくないから。だそうです。
「「「自分がいじめられなければ、良いと言う発想。。。」」」
どこかで見覚えがありませんか??
大人の世界でいつもいつも行われていますよね。
自分に害が無いように生きていますよね。当たり障りの無いように
生きていますよね。自分に面倒な事が降り掛からないように生きてますよね。
つまり、私は、ここから、自分中心な世界を感じたのです。
「自分すら良ければ、いい」という事だと思うのです。
つまり、その「いじめの対象者」にならなければ、後は、どうでもいいって
ことです。自分には関係ないという事です。
極端ですが、それを感じました。
それは、大人と子供に、その感覚の違いは、あるのでしょうか?
自分に降り掛からなければ、良い。
学校側の対応、加害者の対応、みなさん、自分に責任を負わされたくない
ということだけが分かります。
他人の行動を自分の責任に出来なくなったのは、いつからでしょうか?
みんな、誰かの責任にしたい。自分の責任にしたくない。
「自分は悪くない。」「自分だけは守りたい」
実に、本能ですね。
私が悪いと。素直にどうして、言えなくなっちゃったんでしょうね。。。
いじめられた子は、もう、死んで、ここにはいないんです。
それは、事実です。助けられなかったことも、事実なんです。
誰が助けるべきなのか。など定義しても、結局、それは、仕事、義務では、
助けられないと思います。
なぜなら、助ける方も、自分の身体、精神を
たくさん、使うことになるからです。
他人のためにここまで、出来るか?と言う問題です。
だから、結局、知識も教養も資格も必要ないんです。
その人を助けたいと思う、自分を犠牲にしてでも助けたいと思う
正義感と責任感のある者だけが助けると思います。
つまり、良心のあるものしか、助けられないと言う事です。
教師の免許を取っても、その先生が生徒のために自分を投げ出せるか。
それが出来ないなら、助けられないと思うのです。
人を助けると言うのは、自分以外の人にエネルギーが裂かれる訳で、
自分の身が削れます。心身共にとてつもなく消耗します。
そのリスクを覚悟出来るものだけだと思います。
いろんな機関、組織を作っても、人を助ける気持ち、
その大切さが育たなければ、
一向にいじめは、減っていかないと思います。