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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.2   Tomoikukai 2012/08/09 18:41:40 合計 9pt.

お金について、ここ二三日考え続けているのですが、どうもとりとめがなく、いろんなことが浮かんできてしまうので、まとまりがないのですが、思いついたままを書いてみようと思います。

お金は、使う人によって、全く別のものになるような気がします。お金そのものには違いはないのですが、利己的な興味に使ってしまう人の金と、家族や子供、或は世の中の為に使いがちな、利他的な考えを持つ人の使う金では、先々の結果に大きな違いを生むようです。ただ、日本は、儒教の価値観を長く続けた国なので、社会通念として、暗黙のうちに、利他の行動をとるように求められます。このことが、戦後教育と、繁栄した資本主義経済の中で育ち、強い利己的な内面を持ってしまった人々にストレスを生み、結果、儒教の体面を保ちながら、利己的な自分を隠すため、胸襟を開いて人と人と話し合う関係ができなくなったのではないでしょうか。これは、儒教の価値観が上下固定的であり、利他的であるため、それに対応できない人々は、その関係をお金で保とうとしたり(冠婚葬祭、各種寄付行為)表面的に利他を演技することで、組織の評価を得、(各種営業、サービス業)それによってお金を得るという、まるで二重人格者のような生き方になってしまっているかのようです。この人たちのストレスは当然のごとく想像に難くないのですが、一方では、そんな中に始めから入っていけない人も多くいます。ドロップアウトや、引きこもり等々、むしろ自分に忠実に生きようとするものほど、世の中からは疎外されるようになってしまっているように思います。問題は、表面利他的に見える人でも、日本人のほとんどは利己的になってしまったということだと思います。この利己的な人が使うお金は、世の中にとっては、決して幸せをもたらすようなものになるとは思えません。結婚が減り、子供を産まなくなり、生んでも育てないことなどが、これらのことと関係がないとは決していえないでしょう。儒教の形式をお金で済ます。これは社会の隅々まで浸透していたので、お金が世の中に回らなくなってきた今、その形も保てなくなり、独身者の増加、家族崩壊、一人暮らしや孤独死の増加、三万人を超える自殺者等々がもうだいぶん前から表面化しているのは、皆さんご存知の通りです。
こんな世の中をどうしたらいいのか、もし、儒教の価値観を、今、全部否定してしまったとしたら、表面的に利他を保っていた人達が、パンドラの箱をあけたように、それぞれが勝手に暴れだし、社会秩序は全くなくなってしまうに違いないと、私は思います。ツイッターやSNS上の匿名によるものすごい個人攻撃、インターネットのポルノ、出会い系サイト、オレオレ詐欺等、その兆候は枚挙にいとまがないというところでしょう。
これらのことを一挙に解決するという妙案というものは、なかなかないと思いますが、長期的な作戦を練るということは考えられそうです。問題ははっきり言って利己主義です。そして、利己主義となってしまった大人をそうでなくするということは大変に骨が折れることですし、それを買って出る人も居そうにありません。そこで、一番近道は、小さな子供達がいる夫婦に日本の将来を託すという考えです。子供達を育てている間の夫婦は、最も利他的な環境を作りやすいし、母性本能もその為にあるのだと思います。子供を利他的な環境の中で育てること。教育学でも心理学でも、こういうことを研究されている学者の方は多いだろうし、もっともっとそのことを研究して、子育ての現場に反映するシステムを作っていただきたいと思います。まず、親と子が、儒教の強制から外れて(儒教の縛りのない本物の利他)自然に人を思いやる心を獲得していけば、周りの人達もだんだんとそれに感化されていくでしょう。おじいちゃんやおばあちゃんが孫と関わることもとっても大事なことになってくるでしょう。おとぎ話や、昔話も息を吹き返すことになるでしょう。

そして、このことをやり遂げるには、逆説的ですが、これら若い親子に対する経済的なバックアップが必要となります。人間にとって最も大切で聖なる仕事は、次の世代を生み育てることです。今、この子供達を育てる世代にお金が十分に回っていません。今、何人かの学者の人達がベーシックインカムの導入を検討されているようです。もしこの考えが実現できたら、国家規模で、今あるお金の問題の多くに対処できるのではないかと、実は、大いに期待しているところです。勿論、多くの既得権のある方達には、おおいに、特にお金の面で、権利を譲っていただくことになると思いますが、それは、おおまかにいって、若い世代の為にお年寄り達の財産を移動してあげてくださいということになると思います。利他的な使い方ともいえましょう。日本が生き返る為に、数少ない選択肢のうちの一つです。
そして、この20年の計が成功すれば、日本は諸外国にその成果を伝授することさへできるようになるかもしれないし、その中には、福島第一発電所原発事故の封じ込め技術も含まれているかもしれません。