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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.3   sunameli 2012/08/10 19:49:52 合計 6pt.

まず、私にはお金というものの全体像が見えません。にも関わらず、そういうものを盲目的に普段信用しているっていうことには恐怖を感じます。

お金は「快適な生活」や「幸せな気持ち」をおおぜいに効率よく配るための便利な道具なんじゃないかなと思います。でも、結果としてそこまで理想的な形には全然なっていないということなのかなと。

正直、半分以上なくなっても困らないくらいにお金が貯まったことがないので、「ただの道具だ」ということを体では思い出せません。

この「思い出せない」というのが結構致命的で、お金=価値、=命のように思っていると、経済的な余裕のある・なしで人を評価しがちであったり、お金がないときに持っている人を羨んだりとか、高い税金をとる国に対して被害妄想にかられたりとか、実際、心がギスギスしてきます。


ですから、ちょっとまわりくどい言い方になりましたが、お金をなくせ、とは思いませんが、
お金がただの「道具」であるということを思い出すために、公の経済活動として、「無償でやったことを無償で返してもらう」形が、もっと多様に存在してもいいんじゃないかと思っています。


自分の本音を底まで裏返すと、社会人になって久しい今でも、やはりどこかに「お金さえあればなあ。どうにかして働かないで生きていけないかなー」というヨコシマな考えがないとは言えません。

その考えが、根本的にどう間違っているのかは、頭では分かっていても、やはり体でしっかりと感じることができない。そういう「絶望と呼ぶには浅い、でも自分では取り除けないどうしようもなさ」があるんですが、みなさんどうなんでしょう。

とりとめがなくなりましたが、無理矢理まとめると

お金はその機能が便利すぎる(利己的な目的で無限に殖やせる・貯められる)ゆえに、
「自分という人間は自分だけのために存在しているわけじゃない」「働かざるもの食うべからず」といった志を、その社会に属する人たちの多くが共有していないと、本来持っている前向きな機能を果たさないんじゃないかと思っています。

そういう前提を思い出すための試みやしくみを作る必要があると思っています。昔の人がこれを聞いたら、「何かバカなことやってるなあ」ぐらいの感じでしょうが。