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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.8   masami 2012/08/12 08:27:16 合計 5pt.

貨幣の流通について、内田樹さんが書かれている文章があります。

http://blog.tatsuru.com/

この文章を読んで、お金についての感覚は、時代によって変わっていき、今はお金によって人が動かされている部分がとても肥大しているのかもしれない、と思いました。

皆さんの投稿を読みながら、お金についていろいろ考えていますが、実際に手にとれる物だけでなく、目に見えないものへも対価が払われる今、対価を払うということの心に及ぼす影響を考え始めると、とりとめがなく、焦点が絞れません。
そして今朝、内田樹さんの「市場からの撤収」を読み、とりとめがない部分にまとまりをつけてもらったように思えたので、ご紹介しました。

私は最後の文章が心に残りました、
「それが人間的成熟に資する限り貨幣は有用であり、人間的成熟を阻害するなら有害無用のものである。このことは久しく「人類の常識」であったのだが、いつのまにかこの常識を語る人が少数派に転落したので、あらためてここに記すのである。」

お金はあくまでも、道具であることを、常に意識していることが大切なのだと思います。
このお金の使い方は、人間的成熟に資するだろうか?という問いを常に持ち続けていたいと思いました。