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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.18   mactoo 2012/08/16 17:02:37 合計 8pt.

NO15 chigusaotsukiさんへ。
ありがとうございます。反応があるのってこんなに嬉しんですね\(^o^)/

ピラミッド型の良いところは、みんながある程度の知識や情報を共有できる事。
それが前提で企業は安心して雇用ができて経済が回る仕組みです。
非常に効率が良い半面、一度脇道へそれてしまうと戻ってくるのが難しいです。
雑木林を整備して杉の木を植林する感じというか、雑草は存在出来ないです。

それに比べてパルテノン型(他の呼び方募集)は社会の流れは今まで通りですが、個人の生き方は雑木林です。多様性…茂木先生のいうところの偶有性に満ちているはず。
その人の人生が社会的、文化的に充足するためには「柱」を増やす努力が必要不可欠です。

最初の投稿でも書きましたが、どちらが良い悪いではなく、私自身が親の世代の考え方に対応し切れなくて分析しただけですので、同じような悩みにぶつかっている方の参考になれば良いなと思います。

人生における「お金」のあり方は、その人が人生をどのように捉えているかでポジションが変化する。時としてお金そのものに意思があるかのような振る舞いを見せるのは、その人の人生の局面でお金に対するウエイトが高まった時である。

「金は天下の回りもの」とは良く言ったものです。