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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.20   mactoo 2012/08/17 23:53:20 合計 5pt.

国家とお金について

井上靖先生だったか司馬遼太郎先生だったか失念しましたが、古代中国において国のはじまりは邑(ゆう)、つまり村であったと読んだことがあります。
食糧があるところに人々が集まり国が発展していく。人が多くなって養っていけなけくなれば王は殺されたり、人々は他の土地へ移動してしまう…。
古代国家において民衆を支配する手段は食糧でした。

土地に人々を縛り付け、そこから租税を徴収するやりかたを世界規模で実行したのはモンゴル帝国。その崩壊から、大航海時代を経て植民地から租税を徴収したヨーロッパ諸国…。
物流の発展が貨幣の重要性を高めたのは事実ですが、貨幣経済を決定的にしたのは、やはり産業革命だと思います。これを機に、近代国家は民衆を支配する手段として貨幣を用いるようになったのです。

私たちがお金に支配されているような気がして窮屈に感じる事があるのは、手元にあるお金は自分のものでありながら、実は自分のものではないというもどかしさに由来しているように思います。