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お金について考える

最近はよく「お金なんていらない」といったことが言われています。お金よりも大事なのは、人とのつながりであるという議論をよく見聞きします。確かにインターネットの普及によって、人と人の「つながり」そのものがセーフティネットになる可能性は出てきています。しかし、ご本人から聞きましたが、湯浅誠さんが立ち上げた「パーソナル・サポートサービス」(※)も、内閣府の予算がついているからこそ、実現した制度だそうです。「新しい公共」を作り、運営していくにも、やはりお金が無ければ難しいというのも、一面の真実だと思います。

別の角度から言うと、お金というのは国家と結びついています。お金の通用力というのは、国家が担保しているわけですから。ドルは、アメリカの軍事力と経済力を背景にあれだけ大量に刷ることができているのです。だから、お金について考えることは、国について考えることになる。「お金なんていらない」という議論は、「国家なんていらない」ということにつながっていく。それはもちろん考えるに値する議論なわけですが、はたして現実に持続可能なのでしょうか。あるいは本当に日本人全体の意思を反映しているのかどうか。ぜひ皆さんの経験も踏まえて、議論しましょう。

※「パーソナル・サポーター」が、生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険などの専門知識を生かし、利用者にマン・ツー・マンで寄り添いながら、継続的に相談に乗る制度

NO.21   hakufoundation 2012/08/18 22:31:13 合計 5pt.

○○を考える。というと個人的にはその主題に問題があるような気がします。お金やいじめというやつには問題があるのでしょうか?

もちろん問題は見る角度によって何事にもあるわけですが、導き出そうとする答えというものの前提が微妙に食い違っていることと言うのが、この世の中、非常に多い気がしますね。

勿論、ここで行おうと考えられている事は、その食い違いを確認し合い、時にはひとつの形にしようという試みだと感じているので、そういう場があるっていうのはとっても嬉しいです。いらぬ前書きですいません。。。

さて、先日tokyofmのブルーオーシャンで住吉みきさんが夏休みというものを「別の世界」という表現をされていたのにとても魅力を感じました。

「夏休み」という老若男女問わず恐らく誰もが知っているものが実は「別の世界」でもある。
何だか「別の世界」というと、それは自分とはかけ離れた世界の様に考えがちですが、とっても身近に誰もが持っている世界。それが実は別の世界である。

本日、茂木さんがツイートしておられたのと関連しているのですが、お金の問題にしても、いじめの問題にしても私達は誰もが明快にわかる答えがひとつ、確固としてあると考えがちなように思います。
でも原発問題でも大きく別れるように、物事の答えはそんな簡単なものではない。正義も悪も文化や環境によって正反対と言うことも多々あるように思います。
だから多様な世界。
というと言葉は簡単ですが、それを認められる価値観の成熟というのが、どんな問題であれ、様々な問題を抱擁するにはベストな形なのだと思います。まぁベストとなるとまたその基準の話になってしまうのですが…。

何にせよ、基準どうこう、責任の所在どうこうという事をいう前に、とりあえず作る。ということが決定的に現代ではかけているように思います。問題が生じたら、このコンテンツのようにブラッシュアップする。こんな時代だからこそ『トライ&エラー』きっとそういう環境を作るというのが、現代ではどんな問題でも、考え始める基盤であり、物事を考える上での、最低限必要なことなのかなと感じました。

国が違えば貨幣価値も違う様に、きっと答えはひとつではない。「別の世界」がすぐそばにある。一万円の価値ということの見直しであり、交換と言うことの常日頃の見直しが私達に出来る唯一のことの様に思います。

お金の価値もいじめの質も場所によりけり、日本のいじめが良くないのは陰湿であり、対象が理解不能だからの様に考えられがちですが、私達は問題の質を定義したいのではない。とりあえずの緊急避難がしたいのである。

いじめ問題もお金の問題も、「今、ここで」起こっている問題である。お金という信用が揺らいでいるのであれば、その揺らいだ原因の早急な対処が必要であり、それが正か否かではない。と思いますが、そんなことは皆さん理解の上だと思いますので、とりあえずこの私塾からでもどこからでも良いから始めるしかない様に思います。

と言うわけで、勝手に提案ですが、まずは生きる上で必要な食を自給自足し、壁と屋根だけを容易に設けられる場所を見つけるってのはいかがでしょうか?そうすれば自ずと何が必要かわかるような気がします。

かつて、金は所詮物々交換の代替品であり、そこに価値はなかった様に思います。それを物欲や所有欲などなどの贅沢思考が勝手に価値付されたというような気がします。私達はお金が必要なのでしょうか?
食糧が必要なのでしょうか?
寝泊まりする場所が必要なのでしょうか?
自己を満足させてくれるブランドが必要なのでしょうか?

お金とはなにか?

それは多種多様であり、お金という価値が絶対的であるというような幻想に取り憑かれているのを「田舎の生活」ででも体験するのが理想ですねぇ。

お金の価値の『別の世界』そんな世界の体験をしているかどうかが、きっとこれからの生き方を左右するような気がします。
映画「おおかみこどもの雨と雪」のように。

※私とこの映画はなんの関係もありませんが、とても良い映画だと思いまた、この議題とも関連づくと考え宣伝いたしました。

@hakufoundation