日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
日本人が個人として自立するのに教育が重要といいましたが 実は私は公共の教育に余り期待していません。教育の現場でも専門性が軽視される傾向があるからです。日本の他のシステム、官庁や会社等と同じように 思い切った改革がすぐにできるとは思えないのです。長期的に変革を目指すとしても短期的には、斬新な民間の教育がどんどんできるといいなと思います。
わたしも疑問に思っていたのですが、1の組織と個人のあるべき関係を考える上で、皆さんはその背景にどのくらい日本の外を意識したのでしょうか。
NO.9 LAMPRIGERAさんの <テーマの「日本人」という部分は本質的な要素ではないように思える>とありその点についてですが、私は実はここでは「日本人」というのは本質的要素であると考えています。日本人であるためには日本人としての個人を自立させなければ意味がないと思うのです。それは、もちろん愛国主義的な意味ではありません。
日本の教育というのは、まず、皆が日本人だという前提の元に指導要綱が決められているような気がします。ですから、ブラジルやフィリピン等の児童が増えて学校に来る場合はそのためにいろいろと不便が生じるので、違う指導要綱が必要になります。
でも、アメリカは「みんな違う」が前提です。その違う中から共通を見つけることになるんだと思います。だから英語が話せない児童が学校に来てもすぐ対応できるのです。
続けての投稿ですが、皆さんの意見とても楽しみです。