領土問題について考える
僕は基本的に、ありとあらゆる主権国家の間には領土問題があると思っています。動物学では、二つのグループがあれば、必ずオーバーラップゾーンというものがあって、そこでは活動がかぶる。そこでどうしても争いが生まれるという研究があるそうですが、人間も同じだと考えています。
ただ一方で、領土問題が先鋭化しやすいのは、両当事国の民主化度が低い時だという研究もあるようです。なぜそうなるかといえば、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論をしていくプロセスそのものを指すからです。そして、今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題を見るかぎり、やはり、中国、韓国の民主的な成熟度は、残念ながら低いんだと思います(中国は民主主義国家ではないので、当然といえば当然ですが)。
しかし、相手国の成熟度について文句を言っていても仕方がありません。このような状況の中で、いったい日本としては、どう振る舞うべきなのか。
今回の領土紛争が、東アジア地域の国のあり方や国際関係のあり方に非常に大きな示唆を与えていることは事実です。さまざまな立場の方がいらっしゃると思いますが、ぜひみなさんの意見をお聞かせください。
ちょっと書きにくいかもしれませんが、在日韓国人や在日中国人の方のご意見もぜひお伺いしたいと思います。もしこの掲示板を読まれている方がいらっしゃいましたら、お待ちしております。
ただ一方で、領土問題が先鋭化しやすいのは、両当事国の民主化度が低い時だという研究もあるようです。なぜそうなるかといえば、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論をしていくプロセスそのものを指すからです。そして、今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題を見るかぎり、やはり、中国、韓国の民主的な成熟度は、残念ながら低いんだと思います(中国は民主主義国家ではないので、当然といえば当然ですが)。
しかし、相手国の成熟度について文句を言っていても仕方がありません。このような状況の中で、いったい日本としては、どう振る舞うべきなのか。
今回の領土紛争が、東アジア地域の国のあり方や国際関係のあり方に非常に大きな示唆を与えていることは事実です。さまざまな立場の方がいらっしゃると思いますが、ぜひみなさんの意見をお聞かせください。
ちょっと書きにくいかもしれませんが、在日韓国人や在日中国人の方のご意見もぜひお伺いしたいと思います。もしこの掲示板を読まれている方がいらっしゃいましたら、お待ちしております。
今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題は、おそらく、中国や韓国の、物の考え方や、現実のカテゴライズの仕方が、国の中で、うまく適することができていない状況を、あらわしていると、思います。
ただし、中国や、韓国に限らず、日本でも、見られると、思うのですが、尖閣諸島、竹島は、実在物ですが、概念として触知することで、つまり、ある領土に対する概念的あるいは感情的な構えや見方を、私たちの心が造りあげてしまうことで、もしかしたら、領土の、あるいは、領土に関わる意味を、変えてしまおうとしているかも、しれません。
領土問題を、生理的および感情的に論じてしまうと、解決できないだけでなく、これまでのように、領土問題を、繰り返すだけになってしまいます。
尖閣諸島、竹島は、実在物であり、心理的な構成物では、ありません。
それでも、実在物としてではなく、意志の力で解決しようとするならば、解決策は、常に、理論を超越してゆくことでしかなく、どんなに厳密に概念化することができても、それでも、全く新しい洞察は得られないと、思います。
明治以降、私たちは、以前とは違う新しい民主主義を、見てしまったのであり、旧い時代を素朴には続けさせなくしてしまったのです。
そう考えると、今や、中国や韓国は、国の帰属を、他のクラスに変化させられる、チャンスであるとも、言えると思います。