領土問題について考える
ただ一方で、領土問題が先鋭化しやすいのは、両当事国の民主化度が低い時だという研究もあるようです。なぜそうなるかといえば、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論をしていくプロセスそのものを指すからです。そして、今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題を見るかぎり、やはり、中国、韓国の民主的な成熟度は、残念ながら低いんだと思います(中国は民主主義国家ではないので、当然といえば当然ですが)。
しかし、相手国の成熟度について文句を言っていても仕方がありません。このような状況の中で、いったい日本としては、どう振る舞うべきなのか。
今回の領土紛争が、東アジア地域の国のあり方や国際関係のあり方に非常に大きな示唆を与えていることは事実です。さまざまな立場の方がいらっしゃると思いますが、ぜひみなさんの意見をお聞かせください。
ちょっと書きにくいかもしれませんが、在日韓国人や在日中国人の方のご意見もぜひお伺いしたいと思います。もしこの掲示板を読まれている方がいらっしゃいましたら、お待ちしております。
このテーマを見たとき、緒方貞子さんが語られていたことを思い出しました。
緒方さんは、UNHCRの体験(国内紛争で隣国に逃れようとした人々が、隣国に受け入れられない場合、自国内にいるので民として認定されず、UNHCRは条約上援助できない。しかし、クルド難民問題の時、彼女は、命を救うという基本原則に基づいて、援助を決断しました。)から、国境と国境の間に安全地帯を設けるというアイデアを語られていました。
No.3 Tomoikukai さんが書かれていたように、実際に国境線はないけれど、地続きの世界なら、ベルリンの壁のように線を引こうと思えば引けるでしょう。それでも、現実問題に対処するために、国境の行き来をスムースにしたり、どの国にも属さない、安全ベルトを設けようという考え方と比べると、小さな島の領有権で争いを繰り広げることにどれだけの意味があるのだろうか?と感じました。あるいは、現実的な衝突があまり切実ではないからこそ、上陸して、領有権を主張するといった過激なアピールが可能なのかもしません。中国と、他のアジアの国々の間でも、島の領有権問題が起きているとの報道も見ました。そのような現在、排他的経済水域のような解決策ではない解決策が必要な時代になっているのかもしれない、と思いました。領有権の主張に伴って問題になるのは、海洋資源、海底資源の所有権だけであるならば、共同水域を設けて、その領域内での活動に関して定期的に話し合えばいいのでは?などと考えましたが、この問題が自分にとってあまり切実ではない者の安易な考えなのかな、とも思いました。
N0.1 chigusaotsuki さんの
中国や、韓国に限らず、日本でも、見られると、思うのですが、尖閣諸島、竹島は、実在物ですが、概念として触知することで、つまり、ある領土に対する概念的あるいは感情的な構えや見方を、私たちの心が造りあげてしまうことで、もしかしたら、領土の、あるいは、領土に関わる意味を、変えてしまおうとしているかも、しれません。
という視点は私にはなかったです。
実在物としてではなく、意志の力で解決しようとするならば
という部分が、難しくて具体的にどういうことを意味するか、思い描けませんでしたが、
解決策は、常に、理論を超越してゆくことでしかなく、どんなに厳密に概念化することができても、それでも、全く新しい洞察は得られないと、思います。
は、なんとなくわかるように思いました。
国の帰属を、他のクラスに変化させる、
というのも難しいです。茂木さんの、説明から推測するに、一人一人の中で、「○○国民だから、~~する、~~である」という形で語られる割合が変化する、ということでしょうか?????
よかったらどなたか説明お願いします。<(_ _)>
前回に引き続き、内田樹さんが外交問題という視点で、領土問題について書かれているのでよかったらご覧ください。
私は、中国の国境の概念が印象深かったです。
http://blog.tatsuru.com/2012/08/21_1554.php