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日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。

NO.12   LAMPRIGERA 2011/04/21 02:22:58 合計 0pt.

漠然とした印象ですが、投稿(No.10)を読ませていただいて、アメリカの学校では、なにか、風が吹き抜けていくというか、流動的な雰囲気があるように感じました。空間が閉じていないという印象を受けます。世界に対して開いているといったら言い過ぎかもしれませんが。

それに対して、日本の学校は、僕の感覚では、かなり閉鎖的で、その中にいる当事者としては、それ以外の世界がないかのように錯覚してしまうほどです。

特定の場所が全てであるような感覚を持つことは、自分で考えて思い切った行動をとることを阻んでしまう可能性があると思います。今いる場所で失敗したら後がないように考えてしまい、リスクがとりづらい。国の違いにより、同じ芽でも育ちやすさが違うのかもしれませんね。

次の投稿(No.11)では、より根本的なアメリカと日本の違いについて考えさせらました。

ただ、僕は、本質的には(抽象的ですが、個性のさらに根元では)人間は同じものであると考えています。それで、最後の部分に関しては、アメリカでは表面的な違いを突破して、より深いレベルで共感することが重視されているのに比べ、日本では表面的な違いが違いのまま終わってしまう傾向があるのだと解釈しました。裏を返せば、日本は表面的な均一さが過度に重視される国柄であるのかもしれない。

まだ消化不良なので、この問題に関してはもう少し考えて、できれば後日投稿したいと思います。

ところで、急に「日本人」ということで話をふってしまったために、せっかく書き溜めていた原稿があったのに投稿しづらくなってしまった方がいるかもしれませんね。もう少し煮詰まってから話を出すべきだったかもしれません。その点、少し反省しています。必ずしも「日本人」に触れていなくてもいいと思います。あたらしい投稿は、あたらしい観点から、「日本人」という特殊性を考えさせてくれると思います。それで話をより深めていくことができると思います。