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領土問題について考える

僕は基本的に、ありとあらゆる主権国家の間には領土問題があると思っています。動物学では、二つのグループがあれば、必ずオーバーラップゾーンというものがあって、そこでは活動がかぶる。そこでどうしても争いが生まれるという研究があるそうですが、人間も同じだと考えています。

ただ一方で、領土問題が先鋭化しやすいのは、両当事国の民主化度が低い時だという研究もあるようです。なぜそうなるかといえば、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論をしていくプロセスそのものを指すからです。そして、今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題を見るかぎり、やはり、中国、韓国の民主的な成熟度は、残念ながら低いんだと思います(中国は民主主義国家ではないので、当然といえば当然ですが)。

しかし、相手国の成熟度について文句を言っていても仕方がありません。このような状況の中で、いったい日本としては、どう振る舞うべきなのか。

今回の領土紛争が、東アジア地域の国のあり方や国際関係のあり方に非常に大きな示唆を与えていることは事実です。さまざまな立場の方がいらっしゃると思いますが、ぜひみなさんの意見をお聞かせください。

ちょっと書きにくいかもしれませんが、在日韓国人や在日中国人の方のご意見もぜひお伺いしたいと思います。もしこの掲示板を読まれている方がいらっしゃいましたら、お待ちしております。

NO.14   Tomoikukai 2012/08/29 17:37:17 合計 9pt.

時は幕末、緒方洪庵が適塾を開いていた頃、塾生だった福井藩士橋本左内や、私の通った小学校の名前の由来となった、梅田雲浜、それに、吉田松陰も、安政の大獄で、処刑されたり、獄死したりしています。武田耕雲斎始め、水戸の天狗党は、尊王攘夷の訴えを京都の徳川慶喜に届けようとして、その慶喜に阻まれ、敦賀で捉えられて、350名余りが斬首となりました。坂本龍馬も暗殺されたし、明治維新には戦争以外でも、国を変えようという志士達の多くの血が流されています。国の体制をかえようというときは、既成勢力の抵抗が途方もなく大きく、新しい時代を築こうとすれば、いずれの形であれ、多大な犠牲を払わなければならないのは、いつの時代でも、どこの国でもあり得ることでしょう。

幕末の時代の対立点は、尊王攘夷とか、倒幕、佐幕とか、一見、見えにくいように感じますが、基本的には、鎖国を続けるか、開国か?ということに収まるのだと思います。何と、今の対立軸である、TPP を受け入れて、経済、文化の壁を取っ払うのか?日本文化を守る為に、外国から入ってくる文化に対する壁を厚いまま残すのか?つまり、鎖国状態、ガラパゴス状態をこのまま続けるのか、の戦いと、大きく重なるように思います。

人で言うなら、小泉純一郎(引退してしまいましたが)、大阪市長の橋下徹氏が、開国派なら、小沢一郎、亀井静香氏が攘夷を唱える守旧派と言えなくもないような気がします。幕末は、開国か攘夷かで、敵味方渾然一体となって、血みどろの戦いを繰り広げましたが、最終的には、攘夷派も、その不可能さを悟り、一致団結して、脱亞入欧に舵を切りました。今の政治も、徹底的な討論を通して、グローバル化が避けられないものならば、一致して、教育、年金改革に取り組み、新しい日本の骨組みを1日も早く練り上げてほしいものだと思います。

前置きが長くなりましたが、ここで、明治維新に、適塾の果たした役割について考えてみたいと思います。適塾は、明治維新で活躍した多くの人材を輩出しましたが、愚考するところ、この人達が、いろんな分野で活躍できたのは、いろんな知識を詰め込まれたからではなくて(自学自習が基本だったと聞いています)自立自尊の人が多く育ったからではなかったかと思われます。その中から、福沢諭吉が出た訳ですから、その教育内容は、個人と個人のぶつかり合い(議論を通して)が人格の成長を促したのではないかと想像されます。私は、個人の中で、思想や、哲学が紡ぎだされるときは、多くの質の高い議論を通してその基礎が築かれるものだと思います。適塾の議論の伝統は、ナンバースクールや早稲田、慶応、自由民権運動等に引き継がれて行ったのではないでしょうか。

語り明かさん今宵かな〜アア 星影冴ゆる記念祭(四高寮歌より)

それで、本題ですが、このメルマガを、質の高い議論の場として活用してみるのはいかがでしょうか。既にもうなっていると言われれば、そうかも知れませんが、なかなか議論沸騰という具合にはなっていないように思います。それは、先の投稿でも述べましたように、日本人は、質の高い議論の方法が身に付いていないということに由来するようです。質の高い議論とは、議論のルールを守りながら、ポイントをついた鋭い反論が必要となります。お互いが、反論や、異論を戦わす中で、ことの本質に近づいて行く時、意見が同じ部分や、違った部分があぶり出されて、妥協ができるのか、あるいは、別の解決策を模索しなければならないのかが特定されてくるのだと思います。人に悪いから厳しい意見は控えようなどという、一見思いやりのありそうな意見ばかりだと、お互いの、思想や哲学には、何も変化を起こさないという結果になってしまうことが多いと思います。勿論自分の思ってもみなかった、ユニークな意見に接したときはその限りではありませんが。

先の投稿で、私は、茂木さんの意見に反論を試みたつもりです。自分なりの根拠を示したつもりですが、質の高い反論になっていたかどうかはそれほど自身はありません。しかし、私としては、その意見がいいとか、悪いとかを評価していただくよりは、私の意見を分析して、ルールに則った反論を、改めてしていただく方が、どれだけ励みになるか知れません、それが例え、完膚なきまでに叩きのめされたとしても、そこから、這い上がる力が、人や社会を動かせる力となって、私の中に、あらためてみなぎってくるのだと思います。茂木さんもせっかく、投稿者として参加してくださるということなので、是非とも我々を鍛えていただきたいと思います。

私は、このメルマガが、喧々諤々の、しかも、質の高い議論の場になった時、少しでも、これからの新しい日本の進路に対して影響を及ぼして行ける存在になっていくような気がします。

テーマから大きく外れた議論をしてしまいましたが、このメルマガの、いずれのテーマであれ、そのそこに流れる大きなテーマとして捉えていただくとありがたいと思います。