「誠実さ」について考える
先日、連続ツイートで紹介しましたが、僕には「誠実さの法則」というものがあります。
たとえば、最近の中国や韓国の日本へふるまいは、日本人からすると腹を立てざるを得ないものがあります。でも、現代の脳科学の標準的な見解によれば、脳の振る舞いにおいて、「自由意志」(freewill)は存在しません。国の行動というのは、それぞれの国の人々の認識や行動の集合体ですから、中国や韓国のふるまいも、ある意味で「必然」として起こったこととなる。
では、僕ら日本人は黙っているしかないのか。そこで「誠実さの法則」が出てきます。たとえ、相手の振るまいに自由意志がなく、今とは違った行動が期待できないとしても、それに対して「腹が立っている」という感情を伝えることで、相手が今後行動する時のパラメータが、劇的ではないにせよ徐々に変わるかもしれないことに期待する。これが、「誠実さの法則」です。
他人に対してあまり期待しない、しかし自分の感情は伝える。これこそが、自由意志が存在しない世界観と整合性のある、誠実さの法則だと思います。
みなさんも日々を生きる中で、それぞれ「誠実さの法則」があると思います。
ビジネスにおける「誠実さの法則」、家族のなかでの「誠実さの法則」、友人との「誠実さの法則」……。この「誠実さとは何か」を突き詰めることは、人間同士のコミュニケーションを突き詰めることになると思います。たくさんのご意見お待ちしています。
たとえば、最近の中国や韓国の日本へふるまいは、日本人からすると腹を立てざるを得ないものがあります。でも、現代の脳科学の標準的な見解によれば、脳の振る舞いにおいて、「自由意志」(freewill)は存在しません。国の行動というのは、それぞれの国の人々の認識や行動の集合体ですから、中国や韓国のふるまいも、ある意味で「必然」として起こったこととなる。
では、僕ら日本人は黙っているしかないのか。そこで「誠実さの法則」が出てきます。たとえ、相手の振るまいに自由意志がなく、今とは違った行動が期待できないとしても、それに対して「腹が立っている」という感情を伝えることで、相手が今後行動する時のパラメータが、劇的ではないにせよ徐々に変わるかもしれないことに期待する。これが、「誠実さの法則」です。
他人に対してあまり期待しない、しかし自分の感情は伝える。これこそが、自由意志が存在しない世界観と整合性のある、誠実さの法則だと思います。
みなさんも日々を生きる中で、それぞれ「誠実さの法則」があると思います。
ビジネスにおける「誠実さの法則」、家族のなかでの「誠実さの法則」、友人との「誠実さの法則」……。この「誠実さとは何か」を突き詰めることは、人間同士のコミュニケーションを突き詰めることになると思います。たくさんのご意見お待ちしています。
こういう個人になりたい、こういう集団になりたい、こういう社会になりたい、と、私たちは「前提」を造り上げて、現実の側を、私たちの前提の側へと、合わせようとします。
それが、うまくいったならば、何の問題もないです。
けれど、それが、うまくいかないときには、そんな現実がよくないことになって、前提そのものの検討ではなく、うまくいかないのは、個人のせいだ、集団のせいだ、社会のせいだ、と、不快や困難や失望といった、痛々しいほどの感情をもたらしながら、不適応となる傾向があると思います。
このような不適応を、克服するためには、カール・ポパーの言うとおり、理想的で抽象的な目標を掲げることだけではなく、現実的な具体的な諸問題を解くことで、非現実的で適当でない理想に浸っているだけという現象を、避けることだと思います。
すなわち「何が」問題で今「何が」起きているのかを問うのです。
私がここで発言していることは、それが唯一、必然的な最善の介入というわけではないと思います。
皆さんに納得のいく言葉で伝えられてはいないと思いますし、皆さんを動機付けられるとも、思ってはいません。
けれど、ここで、お伝えすることで、よい変化を、よい影響を及ぼしたいのです。
変わることを通じて、今までと異なったよい徴候を、よい状況を、生み出したいのです。
そして、現実的に、私は何が出来るかを、述べたいのです。
私にとっての「誠実さの法則」は、このような形であらわれていると思います。