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「誠実さ」について考える

先日、連続ツイートで紹介しましたが、僕には「誠実さの法則」というものがあります。

たとえば、最近の中国や韓国の日本へふるまいは、日本人からすると腹を立てざるを得ないものがあります。でも、現代の脳科学の標準的な見解によれば、脳の振る舞いにおいて、「自由意志」(freewill)は存在しません。国の行動というのは、それぞれの国の人々の認識や行動の集合体ですから、中国や韓国のふるまいも、ある意味で「必然」として起こったこととなる。

では、僕ら日本人は黙っているしかないのか。そこで「誠実さの法則」が出てきます。たとえ、相手の振るまいに自由意志がなく、今とは違った行動が期待できないとしても、それに対して「腹が立っている」という感情を伝えることで、相手が今後行動する時のパラメータが、劇的ではないにせよ徐々に変わるかもしれないことに期待する。これが、「誠実さの法則」です。

他人に対してあまり期待しない、しかし自分の感情は伝える。これこそが、自由意志が存在しない世界観と整合性のある、誠実さの法則だと思います。

みなさんも日々を生きる中で、それぞれ「誠実さの法則」があると思います。

ビジネスにおける「誠実さの法則」、家族のなかでの「誠実さの法則」、友人との「誠実さの法則」……。この「誠実さとは何か」を突き詰めることは、人間同士のコミュニケーションを突き詰めることになると思います。たくさんのご意見お待ちしています。

NO.5   masami 2012/09/09 06:47:02 合計 21pt.

誠実に生きるとは?と考えて、「さとうきび畑の唄」の映画(ドラマ?)の一場面を思いだしました。
知らない人には申し訳ないですが・・・
第二次世界大戦の沖縄で、兵隊となった主人公の日本人の男性が、傷ついて一人残された米兵を殺すよう上官に命じられて、殺せない、と言って泣く場面です。結局彼は、命令に従わなかったので、上官に殺されてしまいます。
彼の最期は、自分の気持ちに誠実だった、と思います。
誠実な、の英語は、truthful sincere honestもあるけれど、私の中の誠実に生きる、というイメージは、英語に訳せば、genuine に近いと思います。ありのままの自分、正真正銘な自分でありたいと願うこと。正真正銘な自分がわからなければ、それを問い続けること。それと同時に、他の人もそのように生きられるように配慮することが、誠実に生きることだと思います。
そのように生きることが、現実の中の具体的な場面でどのような行為に結び付くかは、その人の置かれた状況、その人の能力によって異なってくると思います。
「さとうきび畑の唄」の主人公が殺されたように、genuineであることは、時には、とても難しいと思います。また、自分の誠実さにこだわりすぎれば、誠実な生き方が、あっという間に、傍若無人な生き方になってしまうかもしれません。どんなに誠実であろうとしても、危険や恐怖、不安や疑心があるところで、genuine になるのは難しいでしょう。一人一人が、自分に正直であり、他者が正直でいられるような環境を作るよう心掛けることから、誠実な対話が始まるように思います。