「誠実さ」について考える
たとえば、最近の中国や韓国の日本へふるまいは、日本人からすると腹を立てざるを得ないものがあります。でも、現代の脳科学の標準的な見解によれば、脳の振る舞いにおいて、「自由意志」(freewill)は存在しません。国の行動というのは、それぞれの国の人々の認識や行動の集合体ですから、中国や韓国のふるまいも、ある意味で「必然」として起こったこととなる。
では、僕ら日本人は黙っているしかないのか。そこで「誠実さの法則」が出てきます。たとえ、相手の振るまいに自由意志がなく、今とは違った行動が期待できないとしても、それに対して「腹が立っている」という感情を伝えることで、相手が今後行動する時のパラメータが、劇的ではないにせよ徐々に変わるかもしれないことに期待する。これが、「誠実さの法則」です。
他人に対してあまり期待しない、しかし自分の感情は伝える。これこそが、自由意志が存在しない世界観と整合性のある、誠実さの法則だと思います。
みなさんも日々を生きる中で、それぞれ「誠実さの法則」があると思います。
ビジネスにおける「誠実さの法則」、家族のなかでの「誠実さの法則」、友人との「誠実さの法則」……。この「誠実さとは何か」を突き詰めることは、人間同士のコミュニケーションを突き詰めることになると思います。たくさんのご意見お待ちしています。
グライスのマキシムを、「問題を解決しようとする二者間に於いて、こちらのアイデアを、嘘偽り無く、根拠を示しながら必要十分に、しかも簡潔に伝える時、相手もまた相手のアイデアを同じような態度で返答してくることが期待できる」と言い換えると、これを「誠実さの法則」だと理解してもよいのではないかと思います。
そこで問題になるのが、この法則は、真か?偽か?ということと、もし,真だとして、二者間の問題がこの法則に従って、解決に辿り着くことができるのかということになろうかと思います。
そこで、まず、この二者間の問題を、理系の科学者どうしの議論とすると、議論の内容はすべて客観的証拠にもとづくものであるということが前提となるし、嘘をつく理由も無いので「誠実さの法則」は成り立ち、議論を重ね実験を重ねることによって、問題の解決に近づいていくということは充分期待できるということになるでしょう。
しかるに、この二者間の問題が、主観にもとずく人間関係であったり、二国間関係であったり、たとえ、科学者間であっても、必ずしも客観的証拠によって、議論を進める訳ではない、主に文科系の学問に関わる人達にあっては、主観的部分を二者間でいかに調整できるかが、「誠実さの法則」が成り立つかどうかの条件となり、それが成り立たなければ、問題の解決に近づくのは、いかに客観的に見える証拠に基づいていても、不可能に近いと言ってもよいのだと思います。これは,言い換えれば、これらの場合にあっては、二者間に問題が起こった時、実力行使を排除して,平和的にその問題を解決しようと思ったら、お互いの価値観の違いを乗り越えて、理解し合う素地、基盤を作らなければならないということになると思います。しかしながら、主観的な認識を調整することは、特に、二国間においては、人や文化の面で、それこそ大いなる質的量的交流が必要となるでしょう。
それでは、例として、日韓の二国間関係の現状を見てみましょう。近年、韓国は、日本がかって、アメリカを見習って産業を発展させてきたように、日本に追いつけ追い越せという意気込みで、経済発展してきました。そして、今や、電子機器業界や、その他いくつかの産業に於いては、ある面、日本を抜き去ってしまったということもできます。しかしながら、大方の日本人は、未だに韓国人に対しては,目下の気分を持ち続けています。竹島問題に関していえば、匿名ネトウヨの韓国蔑視のツイートは、相も変わらず目に余るものばかりだし、右翼の朝鮮系住民に対する攻撃を耳にするにつけ、心が痛みます。そして、同時に韓国にいる日本人のことがとても心配になります。オリンピックのサッカーで、日本が韓国に負けると、韓国チームをほめること無く、竹島問題が話題になると、そればかり取り上げて、日本が負けたことには全く忘れたかのようです。また、キム・ギドク監督が、ヴェネチア・ビエンナーレで、北野武監督が期待されていた、金獅子賞を受賞しても,誰も反応しません。現在の日本人の韓国に対する心情は、追いつかれ追い越されたという焦りと、昔の成功体験からくる、優越感の裏返しで、嫌悪感にあふれているように見えます。こんな心情を土台として、「誠実さの法則」が成り立つのかどうかというような検討は、多分、しても無駄だということになると思います。今の韓国が,国際化しているかどうかは別として、日本人が相手の心情や文化を理解し、どんな国とも対等な関係を築くことができるよう、1日も早く、日本の国際化を実現することを期待します。
そして、国際化に関しては、英語の習得が鍵になることは、茂木さんもいつも指摘されていますが、この,英語教育に関しては、日本より,韓国の方が、圧倒的に先に進んでいます。昨日のニュースで、文科省は、小学校低学年から英語の授業を必須にするという検討に入ったということを知りましたが、これは一応、前の金沢市の教育長である石原多賀子さんの悲願だった訳で、私にとっても喜ばしい限りなのですが、小学校からの英語教育は、韓国では、20年近く前に導入されています(ちなみに、石原さんは、25年前から主張されていた)。それに、竹島に上陸した、イ・ミョンバクさんが大統領に就任してからは、英語の導入は幼稚園から始めるようになったそうです。私も長年英語を勉強していますが、少々難しい英文が読めるようになっても、コミュニケーション能力はネイチヴの子供にさえかないません。なぜ、日本人は、英語のコミュニケーション力が伸びにくいのかを知ることが,私の長年のテーマであるのですが、それは、今ではアブソーベント・エイジ(吸収年齢)に、英語系の言葉を吸収できなかったことが決定的な理由だと思っています。いろいろな研究の結果、現在英語をマスターすることに関して言われているのは、文字の認知能力が大飛躍を遂げるのに、人類は、2000年を要していますが、子供の脳は、アブソーベント・エイジの間のおよそ2000日の間にその歴史のほとんどを修得してしまうそうです。これは、「メラビアンの法則」(コミュニケーションに於いて、何がどの程度相手にインパクトを与えるか)
好意・感情の総計=言葉(7%)+声(38%)+顔(55%)
を考え合わせると、子供達は、このアブソーベント・エイジの間にコミュニケーション力に必要な、文化や、夢や希望の指向性、理論構成力、また、先の「領土問題について考える」のテーマの時の投稿で述べた議論するときのマナーなども、そして、私は、さらに、相手を思いやる心の彩や表現まで、親や、社会、そして何よりも自然環境(ヒトの活動する)の中からそのあらかたの重要部分を吸収してしまうのではないかと思っています。
さらに、アメリカの研究では、子供が小学校入学までに体験した言語的刺激の数(数千万語に達すると言われていますが)と、思春期以後の思考力に有為な相関関係があると報告されているそうです(私は、言葉の数だけでなく、質も関係してくると思っています)。
農業に於いても、「苗八作」などと言って,最初の苗のできが、その作物のその後の生育を決定づけると言われています。さらに、日本には、「三つ子の魂100まで」という金言もあることは,たいていの人が知っていることだと思います。それに反して、現在の教育は全く的外れにも、苗の作り方には積極的には関与せず、できた苗のでき不出来に関わらず、金太郎アメ教育を押し付けています。私にも4人の子供がいますが、学校で先生から指導を受けたことといえば、進学先と偏差値のことばかりでした。今の教育学というものは、子供達の偏差値をどうやって上げるかばかりを研究しているのでしょうか?みんなの点数が上がれば偏差値は誰も上がらない???人の足を引っ張って点数を下げてやれば、自分の偏差値は上がる? 全く馬鹿げているとしか言いようがありません。教育学というものは、人間をトータルに見て、発達の過程を研究し、その成果を社会に反映して子供達の能力を最大限伸ばすということが最大の使命だと思いますが、いかがでしょうか?
こう書くと、教育学者の皆さん達からは、最近では、就学前の子供達へのアプローチを増やしているし、自然の中で教育する取り組みも各地で増えていると反論がきそうですが、私に言わせれば、それは、とても話にならないレベルで、教育資源の大半をこのアブソーベント・エイジ教育に費やす位の覚悟が必要だと思っています。
アブソーベント・エイジ教育に対する研究が決定的に不足しているというなら、諸外国の研究を参考にするしかないと思いますが、特に、バイリンガル教育に関しては、シンガポールと香港が、大いに参考になると思います。なぜなら、完全なバイリンガルを育てるノウハウが、家庭教育も含めて充実しているし、日本人が一番心配している、英語を導入することによってほかの科目の学力が、犠牲になるのではないかという懸念も少ないと思われるからです。
学校教育については、このアブソーベント・エイジ教育で育った若苗をその夢と希望のままに、どんどん能力を伸ばしてやればいいのです。何も与えなくても、環境さえ整えてやれば、自分でどんどん伸びて行くはずです。勿論大学改革も大切ですが、子供達の能力の伸びる延長上に大学があると考えれば、自ずと改革は進むと思われます。大学だけではなく、仕事やその他、社会の発展に子供達の才能は枝を張り、学問、技術、文化となって花を咲かせて行くことでしょう。(ふう、やっと辿り着いた)
というわけで、日本と、他国との問題解決の為に「誠実さの法則」が機能する為には、日本人の心情が、偏見を無くして、国際化に耐えうる素養をしっかり身につける時を待たなければならないが、今この日本の改革期に於いて、骨太の国の指針を確立してその方向を示し、それを誠実に実行することによって真の国際化が実現した時、それはまた、日本の大切な文化を継承した誇り高い新生日本が実現することとなり、他国のモデルともなることができるでしょう。
韓国と日本の英語教育の違いを見よ!! http://allabout.co.jp/gm/gc/50441/