「誠実さ」について考える
たとえば、最近の中国や韓国の日本へふるまいは、日本人からすると腹を立てざるを得ないものがあります。でも、現代の脳科学の標準的な見解によれば、脳の振る舞いにおいて、「自由意志」(freewill)は存在しません。国の行動というのは、それぞれの国の人々の認識や行動の集合体ですから、中国や韓国のふるまいも、ある意味で「必然」として起こったこととなる。
では、僕ら日本人は黙っているしかないのか。そこで「誠実さの法則」が出てきます。たとえ、相手の振るまいに自由意志がなく、今とは違った行動が期待できないとしても、それに対して「腹が立っている」という感情を伝えることで、相手が今後行動する時のパラメータが、劇的ではないにせよ徐々に変わるかもしれないことに期待する。これが、「誠実さの法則」です。
他人に対してあまり期待しない、しかし自分の感情は伝える。これこそが、自由意志が存在しない世界観と整合性のある、誠実さの法則だと思います。
みなさんも日々を生きる中で、それぞれ「誠実さの法則」があると思います。
ビジネスにおける「誠実さの法則」、家族のなかでの「誠実さの法則」、友人との「誠実さの法則」……。この「誠実さとは何か」を突き詰めることは、人間同士のコミュニケーションを突き詰めることになると思います。たくさんのご意見お待ちしています。
No.7 Tomoikukaiさんの書き込みを見て……
私もその「アブソーベント・エイジ」を重視するという点はとても大事だと思います。幼少期の学習が、根付き方やその後の発展性に大きく寄与するだろうことは、私も確かだろうと思います。
この点で注意すべきと私が思うのは、この考え方については決して(俗に言う)「エリート選別思考」だと勘違いしてはならない部分だと思います。Tomoikukaiさんがそのように仰っているとしている訳ではありませんし、実際そのような主張ではないとも思います。
前回、Tomoikukaiさんが「この掲示板を質の高い議論の場にしよう」と提案されたところを見て、私は毎回のテーマが終わった時には参加者それぞれが「では、具体的にコレに取り組んでいこう!」と思えたならば、それは質の高い議論の場になったと言っても良いのではないかと考えました。
良い議論の条件としてはそれだけではないとは思いますが……
参加者が掲示板を見終わったその日なり翌日なりから、何かやってみようと考えるということは、つまるところ議論の中で「では私達は何ができるか」を具体的に交換していく場面があっても良いことになると思います。そのような点でひとつ……
アブソーベント・エイジへの教育が足りなかったという問題が長らく横たわっていたとする場合、乱暴ですが、私を含めた大多数の成人は「アブソーベント・エイジの恩恵を受けられなかった」こととなります。これもまた乱暴なのですが「教育」もまた一つの技能だと捉える時に「教育に関する教育」を、アブソーベント・エイジで効果的に受けられなかった世代が、現在子供達を教育していることになります。
そうすると悪循環として、アブソーベント・エイジに効果的な教育を行える人材が居ないという状態が続くことにもなってしまいます。 もちろんそんな単純なことではありませんが。
また、まさに私なんかは幼少期に特筆できるような教育を受けた自覚がありません。同じ様に考える同世代以上の人はたくさんいるのではないかと思います。では、私達はそんな時に絶望するしかなく、未来の世代に期待をすることしかないのでしょうか。私はそんな風には思いません。
繰り返しますが、Tomoikukaiさんがそのように仰っているとする訳ではありません。書き込み内容を見て、確かにそうだ!と思い、では「僕はどうしたらいいのだろう?」と思ったことを書き込んでおります。
No.6での私の書き込みで「誰人にもあらゆる命の方向性がある」としました。
これは年齢性別身体的条件を問わないことを意味します。月並みな表現ですが「常に可能性がある」ということになります。私達は、どこまでいっても訓練によってあらゆることを修められるとまず信じる必要がありそうです。
アブソーベント・エイジにおける教育を悪循環に入れない(もしくは抜け出す)為には、結局私達のような「アブソーベント・エイジに必ずしも理想的な教育を受けられなかったかもしれない」人達が、日々真剣に少しずつ前進するしかないのかもしれません。
この夏になってから、私は化学の勉強を始めました。仕事が変わったからなんですが、これまで化学は一切縁がないと思っていただけに基礎の基礎からやりなおしている状況です。頭に入る吸収速度はなかなか若い頃の様にはいかないなと思いつつも、楽しみ方や大事だと思える部分をサッと見分ける時間などは、今の方がうまくできているようにさえ思えます。
私は近所に住む知的障害を持つ高校生の男子と話をする機会があります。職場や家で勉強をしていると、今度彼にこんな話あんな話をしてみようかなとか思うことがよくあります。正直、彼のような若い方と相対してみると「真摯でなければ」と思わされます。今更新しい勉強を始めてもできるもんだぞ!という、今私が感じている喜びは、ある種彼に話せる一つの「有意な教育」かもしれません。
そういうことを考えていると、日々人間的に成長することを具体的に目標立てて、色んな若い人達とじっくり話しをしていく、ということが今「私にできること」なのかなあと思えてきます。
学校教育としてどうしていけばいいのかは分かりません。ただ「地域の協力は不可欠」だなと、上のような経験から感じます。ですから、学校とPTAが対立しているような状況は避けるべきだと思うのです。また、20代30代の青年世代が日常的に子供達と何らかの縁を持っていることは、けっこう大事じゃないかとも思います。
幸いにも土日休みが基本なので、地域のお祭りだとかイベントだとか、そういったものにも目を向けて子供達と関わる時間を作っていければなんて考えています。