「子どもとの付き合い方」について考える
少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。
21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。
前回のテーマ「誠実さ」について考える の投稿に対するコメントの中で、茂木さんは、「アブソーベント・エイジ」のことを取り上げてくださいました。SYNTOMOLOGY(真友学)と共に、これらの言葉を皆さんに親しんでいただけるようになると、とてもうれしいです。
その中で、茂木さんは、英語の学習は、子供の時に、必ずしもやる必要はないと述べておられます。でも、私の受けた日本の英語教育では、英語をマスターするという観点から見れば、私にとっては、全く妨げにしかならなかったと思っています。それで、私は学校で、英語は10年間勉強しましたが、英語の学習は、40才から始めたといってもいいと思います。40才から全く白紙(灰色かも)から始めて、今は61才ですから、かれこれもう二十年以上になります。学習法は、京都に週一回合気道を習いに行く道すがら、片道2時間往復で4時間、ひたすらCDを聞き続けること(シャドーイングしながら)。質の良い英文を読むこと。テレビの英語ニュースを聞くこと。トイレで瞬間英作文をすること。学習のモチベーション作りには、ひたすら英語検定を受け続けることと、機会さえあれば、英語スピーカーと友達になるということを心がけました。大方針は、「耳から英語をマスターする。」というものでした。それでどうなったか?皆さん気になるでしょう? 残念ながら、大方の期待を裏切って、去年の11月無事、英検一級をクリアーしました! 人生至福の一瞬でした(あと、結婚が決まった時と、4人の子供がそれぞれ生まれた瞬間もそうでしたが)。長年の夢が叶って、もう死んでもいい・・・と言う訳ではなくて、これからが、夢にまで見た幼子達と英語での交流が始まります。だから、茂木さんに、英語は、「20才からでもものになる」といわれると、それはそうかもしれないけど、自分の経験に照らして、時間が〜 コミュニケーション力が〜 お金があ〜 よっぽど頑張らないと〜 等々と、思ってしまうのです。私は、今の学校教育のやり方を変えることで、英語が役に立つものにすることもある程度は出来ると思いますが、万人が、気軽に、しかも深く英語を身につける為には、アブソーベント・エイジ教育で英語が喋られるようになることが、結局、ものすごく安上がりで、将来に期待が持てるやり方だと確信しています。
なんでこんな、何処にでもいるような、何の取り柄もない坊さんが、必死になって英語に取り組んでいるのか?長くなりそうですが、書いてみようと思います。
私は1977年8月に青年海外協力の野菜栽培指導隊員(実際は研修隊員のようなもの)として、バングラデシュの農業開発公社のアドバイザーに赴任しました。言葉は、ベンガリ語で、日常会話が出来るように、ベンガル人の先生に(チョードリさんとアザドさん)四ヶ月ほど教えていただいて、現地に赴任しました。普段の仕事は、片言のベンガリ語で済ますことが出来て、それも日に日に上達して行くのですが、たまにあるミーティングは英語でした。私は、英語は、日本の学校で受験の為に勉強しただけですから、その時全く使い物になりませんでした。それどころか、同僚に、「お前は大学まで出てるくせになんで英語が話せないんだ?」と馬鹿にされる始末です。この同僚には、任地を離れる時、職場に残す英語のレポートを手伝ってもらいました。私がベンガル語で話し、シラーズが英語に訳して行くというやり方です。おかげで、友情は深まりましたが英語が出来ないということで、かなり深い劣等感を帰国後もずっと持ち続けました。それで、1979年に帰国してから少しずつ英語の勉強を始めていたのですが、同時に、何故、日本の学校で英語の教育を受けても海外では全く!全然!何の役にも立たないのだろうか? 学生にとっては、お金と、貴重な青春の大〜大無駄遣いじゃないか!と強く強く思うようになりました。「よし!俺が子供達の為に日本の教育を完全にかえてやる!」と思い始めたのは、自分の初めての子が小学校へ行くようになった頃のことでした。それには、まず、自分が英語を喋られるようになるのが先決だと思いながら、何をどうしていいか解らなかったところへ、お隣にオランダ人の奥さんとやはり協力隊帰りの夫である橋本さん夫婦が引っ越してきました。二人は、英語で会話を成り立たせていたので、私は、奥さんのコリーナさんに英会話を只で習い始めました。しかし、それは、只ということもあってか、あまり長続きはせず、その後は、家族ぐるみの付き合いになって行ったのですが、それからは、外国人に話しかける度胸だけはどうにかついたようです。
1995年、世界体操選手権大会が近くの町鯖江でありました。選手や関係者の案内役等、多くのボランティアを募集していたので、英語力を試してみるいい機会だと思って、応募しました。そこで、簡単に採用されたのはいいのですが、あまり英語力が信用されなかったのか、出番は全くありませんでした。何人かは生き生きと活躍していたので、とても悔しい思いをしました。でも、何でもやってみるもの。そこで、ALT(アシスタント・ランゲッジ・ティーチャー)サム・デニー と友達になりました。それで、早速、娘が通っている小学校で英語だけで英語を教えるボランティアをしてくれないかと頼んでみました。サムは、他のALT同様日本の学校のALTの使い方に辟易としていたところなので、二つ返事で引き受けてくれました。ところが、赤崎小学校で英語で英語の授業(遊びながら)が始まる時になって、サムさんの父上が重い病気にかかり、サムさんはアメリカへ帰って行きました。しかし、一度心がつながった信頼関係は強く、代わりにサマンサ・ペリーという語学の天才(5カ国語)・バイリンガルを育てる奇才?を代役に頼んでおいてくれました(今、サマンサは敦賀で英語塾を開いていて、3年生と1年生の男の子を完全バイリンガルに子育て中、ついでに、兄貴は空手もすごい)。
このサマンサと赤崎小学校で行った英語で英語の授業(遊びながら)に強く感銘を受けて(最初の日から、全く日本語を交えずに、特に低学年の子供達は、サマンサの言葉を理解した)、私は、他の英語教育に関心のある日本人と共に市内のALTと子供達をつなぐ「えいごクラブ」を作りました。その中から、多くの英語好きの子供達が誕生してきたのですが、数年の活動の後、私の方は、自分で子供達と直接英語で話すようになりたいと強く思うようになり、「えいごクラブ」からは離れて、英語のマスターを目指して、英語オタクとなりました。なんと、英検一級の試験は、20回目でやっと合格することが出来ました。その間八年の年月が流れていました。
あんなに取りたかった英検一級の資格。それを取ってみて、いざ、幼児の英語教育を始めようと意気込んだのはいいのですが、そこでまた感じたのが英語力の不足です。英検一級と言っても、実用的な観点から言うと、ネイチヴレヴェルから見れば、まだまだせいぜい30点位のもの。大垣で子供達に英語を教えておられる Kim Horne さんのワークショップに サマンサの子供達と参加した時、キムさんとジャスパーやキアンくん達のあの英語でつながった躍動感を目の当たりにて、私には,まだまだ足下にも及ばないなと思い知らされました。子供達に英語力を伝える為には、まだまだ精進しなければと思っているこの頃ですが、敦賀では、数ヶ月前からNHKワールドが見られるようになり、それを見ながら、英語のブラッシュアップを続け、今は、子供の前で英語の紙芝居をやることから始めようと思っています。
私が、英語オタクを続けている間に世間では、私が思い描いていた通りの英語教育に関しての動きが見られるようになってきました。ごく最近では、小学校低学年から英語が必須になるということ。それに、福井県では、子供が生まれると同時に、行政が積極的に子育てに関わるプログラムを立ち上げるということ。私は、英語とのふれあいは、幼稚園からにしてほしいし、福井県には、もっと小さい年齢で、子供達が英語に触れる環境作りをしてほしいと思っていますが、より肝心なことは、世界から学ぶこと。英語教育の場合は、特に東南アジアや、香港に学ぶこと。そして、研究して得られた結果は、その都度現場に反映させていくことを特に望みたいと思います。
そういう意味で、我田引水になりますが、アブソーベント・エイジ教育を一つの学問として、現場、研究機関、行政の情報交換を密にして行くことを押し進めていっていただきたいと思います。
SYNTOMOLOGY(真友学)会 なってほしい会員リスト(一部)
石原 多賀子 前金沢市教育長
杉左近 正 元敦賀市教育委員長
サマンサ・ペリー イングリッシュ・イン・ジャパン
茂木健一郎 脳科学者
橋下 徹 大阪市長
西川 一誠 福井県知事
河瀬 一治 敦賀市長
塩井 信孝 共友育会(ともいくかい)
ここにあげた人だけでも、アブソーベント・エイジ教育についてお互いに情報交換し、現場に反映する道筋を作ることができれば、確実に日本の教育をかえることが出来ると確信しています。
この中で、この、樹下の微睡みを見ている人があったら、是非とも、ここに投稿して、意見をお聞かせください。
最後に、子供とのつきあい方は、全身全霊、対等目線で・・・後生畏るべし!