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「子どもとの付き合い方」について考える

これからの日本を考える上で、絶対に無視できない要素は、少子高齢化です。これは人口動態から考えて、非常に深刻な問題になることはほぼ確実でしょう。では、そういう時代において、我々は「子ども」とどのように付き合っていけば良いのでしょうか。

少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。

21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。

NO.3   ryosuke85 2012/09/21 06:45:27 合計 31pt.

子供との付き合い方

よく聞かれる「子供に対しては夢を与える」という文言に対して、なんともいえない違和感を覚えます。

勿論、なにも現実的な話だけをし、絶望させることを望んでいるのではないのですが、子供を守りすぎる事は子供自身の考えを削ぐことにもなりかねないのではないでしょうか。

発育発達という観点で、子供が生まれ、首が座り、寝返りを打ち、這いずり、つかまり、立ち、歩き、走る、という運動動作学習においても、各フェーズにおいて大人は誰一人として“教える”ことはできませんが、彼らは勝手に習得していきます。

しかし、例えば知識的な部分で大人が、「ハイハイが短かった子供は、その後の運動形成において肩甲帯、つまり肩周りの運動が小さくなる」という統計的(しかし、あくまで統計的な)知識を持っていれば、早く立たせることよりも、ハイハイのバリエーションを増やすような働きかけをすることは可能だと思います。

私自身の考えは、その後の接し方においても運動学習と似通っていていいのではないか、と考えています。

言葉を使用して、理解を得ながらするのがいいのか。それとも様々な実践を通して本人に得てもらっていくのがいいのか。これは運動学習においては生物学的年齢を勘案する事が必要ですが、親が子と接する場合には、子供の成長を把握した上で話しかける事がいいのかどうかの判断をする必要があり、ここの判断をする事が親の務めでは無いでしょうか。

何がしたくて、どう生きたいのか、という事を考える事が出来るのはなにも大人だけでは無く、現在日本にいる子供たちも考え、行動に移すことができます。

それを実行した上で考えが変わる事は否定してはいけないし、否定できるものではありません。こちらが間違っていると思う事は、何が間違っているのか、という事を本人の身近な“社会”からメタファーを用いて説明し、考えてもらう必要があるのではないか、と考えます。

その機会を与え、考えを聞き、行動を促すことが結果的に当人にとって夢を考えさせるのであって、その個々人的な人格形成を促す意味も含めて、子供に対しては一人の人間として接していく事が大切なような気がします。

“子供なんだから子供らしく”なんて言葉は大人の勝手な幻想であり、子供はそうしたかったら勝手にそうします。それを押しつけがましく“子供らしさ”を押し付ける大人に限って、そうでない子供を見た時に悪い意味での「特別扱い」をしてしまうのではないでしょうか。

だからこそ、子供に対しては不安を煽るという意味では無く、現実的に自らの立ち位置が社会的にどこにあるのかを各年代ごとに考えてもらうように働きかけるというのが、私個人の考えであり、子供と接する上での我慢のしどころだと思っています。

結果的にそれが社会に対する、その子供のパーソナリティを育むことになり、社会をはぐくむことになるのだと思っています。

もし、社会としての接し方を考えるのであれば、初等教育の「クラス担任制」の撤廃を視野に入れた中で教育というものを再考していく必要があるのではないでしょうか。

現在の日本という国は受験という呪縛に縛られ、それ以外の教科に対しては不要とすらする向きもあります。
私は運動に携わる人間として、指導している中で体育不要論を感じる事が多々あります。
「体育をしたところで何になるのか」という態度が出ること自体、自らの体に対して関心がないということであり、そもそも勉強というものは自身の健康が前提条件である事を蔑にしている意見です。

それは、体育の社会的な立場としてもそうなのですが、“体育を教える先生が体育が苦手な場合がある”という矛盾する状況をはらんでいることも忘れてはなりません。
音楽にしても、家庭科教育にしても同様の事が言えるはずであり、指導要領に関しても、初頭から高等学校までにおける12ヶ年一貫性を望んでいる(これも現実的では無いように思えます。)事を考えると、教育のシステムについて再考する必要があるのではないでしょうか。

多少強引な結び付けをした部分もあったとは思いますが、社会として、というよりも個人対個人として見た際の子供に対する付き合い方を述べました。

遠藤涼介
@ryosuke_endo