「子どもとの付き合い方」について考える
少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。
21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。
「子どもとの付き合い方」は、「向き合い方」であってはいけないと思っています。
サン・テグジュペリの言葉に「愛する――それはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである」とありますが、向き合ってしまうと、お互いの顔はよく見えるかもしれませんが、周囲のことは見えずらくなってしまいます。
社会の中で自分を見失わずに生きていける人に育てていくことが、子どもへの愛だと思っています。
そのためには、一緒に同じ方向を向いて、最初は狭い子どもの視野を、広げて行くこと、世の中ってこんなに広いんだよということを教えていくことが大事なことだと思います。
また、同時に、広い世界の中にいる自分という存在に気づき、、自分以外の人がいることにも、目を向けられるようにしていくことも、とても大切なことだと思っています。
少し前に、茂木さんのツイート(だったかな?)にもありましたが、メタ認知を育てる、ということでしょうか。
そう考えたとき、子どものとの付き合い方は、翻って、大人がどう生きるかという問題につながると思います。
子どもに、私(親)は、あなたのことをこう見ているよ、あなたのしたことをこう思ったよ、あなたはこんなところがいいね、このへんはどうだろうか?と伝えていく。
世の中の人は、あなたのことをこう見ているんじゃないかな?あなたのしたことがどう思われたかな?自分ってどういう存在?と考えられるようにしていく。
子育て歴10年。子どもにそのことを伝えている自分は、どうだろうか…?と、我が身を振り返り、深く自省することがどれだけあったか…。
No.1chigusaotsukiさんの「子ども支援におけるソリューション・フォーカスト・アプローチ」は、子どもへの視点と親への視点の両方から考察されている点が、とてもすてきだと思いました。
その引用文の中に、親は子どもを誇りに思いたい、子どもは親に誇りに思ってもらえる自分になりたい、と書かれていますが、「誇り」は、単にお互いのことを尊重し好きになることではなく、社会の中の存在として立派であることが基準だろうと思います。
他の子どもたちの中で自分を誇りに思う。他の子どもたちの中にあって自分の子どもを誇りに思う。
社会の中で自分を誇りに思う。社会の中で、子どもから誇りに思ってもらえる自分(親)である。
その判断の基準は、「社会人としての生き方」にあるのではないでしょうか。
今の社会で求められている社会人。
それは、グローバル社会の中で自立して生きるということだと思います。
日本に生きるひとりとして、世界という視野でメタ認知する。
そのときに自分を、日本を、誇りに思える生き方をできているかどうか…。
子どもたちが、将来に夢や希望をもって、社会の中で役立つ人になりたいと思えるような社会を作っているかどうか…。
子どもは、大人を見て育っていきます。
まず、私たち大人が、メタ認知に磨きをかけ、親として、社会人として、日本人として…多様性を認め、命を大事にできる、スマートで優しい自立した大人になれるよう、努力していくことが、大事ではないかな。と思います。