「子どもとの付き合い方」について考える
少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。
21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。
本当に難しいテーマだと思いました。漠然としていますが、私がこのテーマから考えたことを書いてみます。
BigIssue 198号のエコノミスト、浜矩子さんのインタビュー「分かち合いへ「think local act global」日本の課題の解決が世界のモデルになる時代」を参考にしたいと思います。今の日本はロールモデルを求めることは許されない、私たちが目標。日本でしか課題になっていないことがたくさんある。最大のポイントは人の痛みがわかるということ。居心地のよい自己完結の世界だけでは終わらず、自分たちではない、誰かのために何かをしているという意識が必要なのではないでしょうか。と、浜矩子さんは語っています。過去の成功体験にとらわれていたら、新しい今の課題に向き合えない時代。
社会の仕組みや経済だけでなく、その他の分野を眺めても、私たち大人が今の子どもたちにできることはそれほど多くないと思います。いろいろなことが、どんどん変化してきている点、これから社会がどうなっていくかわからないという点で、子どもと大人がほぼ同じ地平に立って、それぞれの場で、自分のできることを模索する時代にいるように感じます。そんな今、私は子供たちには、自己肯定感を持ってほしいです。
自己肯定感があれば、ありのままの自分でいることや、失敗することを恐れず、新しい人や知識と出会うことに前向きになり、自らの力で問題を解決する力を養うことができると思います。そのために私たち大人ができることは、子どもたちのよい面を映し出す鏡になることだと思います。人は、特に子供は、確固たる自分の姿を知っているわけではなく、他者の自分に対する態度を見て、自分なるものを形作っていくのだと思います。極端な例を考えると、怒られたり無視されたりし続けた人が、自分に価値があると思うのはとても難しいでしょう。また、何かができたときは大げさにほめられ、大人の意にそわないことをした時は激しく怒られるとしたら、人の顔色が、その場の損得が自分の在り方の基準になってしまうでしょう。そのような状態で、自分の中に備わる能力を安心して発揮できるようにはならないと思います。子どもに対する時、大人が理想と思うように作り上げる存在ではなく、尊い命と向き合っているという意識を持っていたいと思います。そして、成長を楽しみに見守りたいと思います。
明治から大正、昭和の初めにかけての多くの大人たちは、自分には理解できないけれども、子どもたちが新しい世界に出て行くことをただ楽しみに、ひたすら後押ししたと思います。今の私たちは、その頃の親と違う、教育を受けていろいろわかっている子供を導く立場、と思っているかもしれないけれど、実は、当時の親たちと同じではないでしょうか。
今の子どもたちが出て行くのは、かつての若者が目指した高度成長社会ではなく、浜矩子さんが語っている、奪い合いではなく、分かち合いでしか誰も生きていけないグローバルジャングル。そこで大切なのは「私はあなたの意見に反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という究極の大人の姿。このような大人に成長するためには、まず自分の意見を主張する権利が守られる体験が大切なのだと思います。