「子どもとの付き合い方」について考える
少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。
21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。
No.7masamiさん、No.8terurunさんの投稿、共感しながら拝読いたしました。
自己肯定感を育てるために、褒めること。
笑顔で生きること。
どちらも、子どもであれば、あたりまえのことであってほしいと願います。
ただ、子育てをしてみて思うのは、褒めてばかりでも、笑ってばかりでもダメなこともあるということです。
masamiさんの投稿の最後にある『「私はあなたの意見に反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という究極の大人の姿』を軸に据えて、そこに反することを子どもがしているとき、考えている時には、真剣に、それは良くない、してはいけない、お母さん(親・大人)はそういうことをする(考える)あなたには失望する…ということを伝えないといけないと感じています。
今、学校で、子どもたちは当たり前のように「うざい」「きもい」という言葉を使います。TVでも、大人たちの間でも当たり前に使われているのですから、当然の姿かもしれません。
娘も同様でした。
言っている本人には、悪意がないのですが、言われた人はとても傷ついて学校に行きたくないと言っているということが起きました。
このときは、娘と向き合い、お父さんやお母さんにとってあなたが大切な大好きな存在であるように、○○ちゃんも、○○ちゃんのお父さん、お母さんにとってとても大切な存在であること。
あなたが他の子から「うざい」「きもい」と言われていやな気もちになったとしたら、お母さんはとても悲しい。
あなたが、他の子に「うざい」「きもい」なんて言っていて他の子を切ない気持ちにさせてしまうことも、悲しい。
と話ました。
娘は、ぽろぽろっと涙を流しながら、黙って考えていたようです。そして、その後、学校で、言葉遣いに気をつけているようだと先生からお話がありました。
もちろん、その時は、娘のことを褒めまくりました。
要は、親や大人が一番大切しなければいけない「軸」をもち、そこからはぶれてはいけない、と思うのです。
自己肯定感を育てるために褒めましょう、というと、なんでもかんでも褒めて、ダメなことをダメと言わないのは、子どものためではないし、笑顔でいてほしいから、怒らない、泣かせないというのも、やはり、片手落ちだろう思います。
masamiさんの投稿の中に、「大人は子どもの鏡」とあります。私もそう思います。
大人も人からのアドバイスを受け変わることもある、反省することもある。
笑っていたいけれど、泣きたいときや怒るときもある。
それは、大切にしなければいけない「軸」があるからなんだ、ということを映し出せる鏡でありたいと思います。
子どもにとって理不尽にならない付き合い方を、いつも意識していきたいと思います。