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「子どもとの付き合い方」について考える

これからの日本を考える上で、絶対に無視できない要素は、少子高齢化です。これは人口動態から考えて、非常に深刻な問題になることはほぼ確実でしょう。では、そういう時代において、我々は「子ども」とどのように付き合っていけば良いのでしょうか。

少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。

21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。

NO.21   anne1874 2012/09/30 02:10:26 合計 13pt.

 最近の境界線のごたごたのニュースを見ていると、3歳児の幼稚園児の姿が浮かびます。職場の幼稚園では、入園してしばらくは、自分の周りに園のお気に入りのものを並べて満足している姿がよくあります。他の子が自分のテリトリーに無断で入って触ろうものなら、「だめー!」の一点張り。相手が強引なら、言葉が立たないメンバーは力づくで反撃してきます。たくさんもっていることの安心感はわかります。希少価値の高いものならなおさらです。ただそういうときに、大人(保育者)が「一緒に使うと楽しいよ。」とか「貸してあげなさい。」とすぐ言わないように努めています。『Aちゃん、今線路を長くつなげて東京駅まで行きたいのかもね。」というように、想像を巡らしてつぶやいてみるのです。そうすると、「そう、これはやぶさなの。」といように当事者の反応が返ってきたりするのです。こういうことが、相手の事を思い巡らすきっかけに繋がっていくように思うのです。

 大人は道理や理屈を話して正義を教えなければという圧力の中にいるのかもしれません。ただ、子どもも理屈で迫られれば、言葉が立つ者は理屈で返し、言葉がおぼつかなければ、力づくで(わめいたり、泣き叫んだり、蹴ったり、たたいたり、噛み付いたり)自分の正義を通そうとします。それよりもその子の行動の物語を思い巡らすことで、境界線を忘れてしまうチャンスを作る事の方が、これからの人を育てていくうえでのヒントが隠されているように思うのです。自分も大事、でも相手も大事。自分もおもろい。でも相手もおもろい。茂木さんの著書『挑戦する脳』の最初に出てくる目が見えないことによる自由度も、視覚による境界線が緩くなって相手の方と楽しく語り合えたのも、示唆に富んだエピソードだと感じました。自ら自然に相手の事を思い巡らす力が、多様性を受け入れ楽しんでいく根っこの一つのように思うのです。もちろん大人になった私たちがまず身につけなければ、子どもはまねできないのですが。。。