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「子どもとの付き合い方」について考える

これからの日本を考える上で、絶対に無視できない要素は、少子高齢化です。これは人口動態から考えて、非常に深刻な問題になることはほぼ確実でしょう。では、そういう時代において、我々は「子ども」とどのように付き合っていけば良いのでしょうか。

少子高齢化社会においては、子どもの重要性が相対的に高まるとも言えます。しかしだからと言って、腫れ物に触るようにしていては、子どもの社会化に問題が起きてきます。実際、イジメの問題も、子どもに対して社会の側が積極的に働きかけることができていないことも影響している気がします。

21世紀の日本は、「子ども」とどのように付き合っていけば良いのか。ご意見お待ちしております。

NO.22   orcamie 2012/10/01 00:15:23 合計 10pt.

このこどもに関する投稿をながめて
「子供」と「子ども」があってなかなか興味深いです。
私自身は「子供」の供という字が大人のお供という意味だから
子どもは子どもで独立した存在だから
「子ども」の方がいいよとある師匠に言われて
「子ども」と意識して使っています。

皆さんの投稿を読むと
それぞれ子どもに対して真剣に考えていらっしゃるんだなあと
うれしく思いました。
日本の未来も捨てたものではないという感じです。

さて、No.2 tomoikukaiさんの
日本の子どもたちに実践的な英語教育をという強い思いを
今回に限らず以前の投稿でも読んでお伝えしたいと思っていたのですが、
民間レベルで進行している部分もあるということです。
これは札幌市における現状ですが、実際数的な統計をとってはおりません。
少子化により生徒獲得のために 例えば幼稚園・保育園で
英語教育を実践しているところが増加傾向にあります。
その多くはネイティブスピーカーによるものです。
また幼稚園によっては常駐のネイティブスピーカーの先生がいるところが増えてきています。

またこれは一つの例ですが、保育園時代に1か月に1度15分のネイティブスピーカーによる英語のレッスンを20人位のクラスで3年間受けていて
5年後6か月英語を学習して英検5級に合格例があります(中学生になる前に)。
5年間では英語は小学校で5年生の時に少し学んだだけです。
こんな風に機会は少なくても、その子が合格した理由は
「英語が好きだから」ということに尽きるのです。
もちろん実際に良質な英語を学ぶ機会を多く与えることも重要ですが
英語だけではなく、生きていくのに必要な事柄を学ぶためには
その対象を好きになる要素をたくさん子どもたちに持ってもらう
ことが大事です。
つまり生きることの楽しさを多くの子どもが知ることが一番大切でしょう。
No.9yamanorisuさんの肯定感を育てるに通じることになりますね。

しかしそれは楽しいことだけ知るのではなく
つまり困難を克服したのちに
何かを勝ち得る喜びを知っていれば
そう簡単にはくじけずに生きるということを身に着けられます。
家庭で、学校で、地域社会で 
そのような機会を子どもたちにたくさん与えられる場所になること。
もちろん 親や周囲の大人が 身を挺して子どもたちにそれを示していくべきです。

NO.3 ryosukeさん のクラス担任制の撤廃というのに興味を惹かれます。
私は担任制撤廃よりも緩やかな担任制にならないかなと考えています。
他クラスと他学年との交流、クラス間で先生同士が協力し合う体制を
普段から作る。
行事の時に他学年との交流はどの学校でもあるのではないかと思います。
例えば遠足を、6年生と1年生、5年生と2年生、4年生と3年生で
グループになって行動するというようなことは現在よく行なわれていると思います。

しかし普段からクラス間や学年同士で
共同して学ぶ体制があればもっといいのではないかと思われます。

学校のクラス分けにおいて
能力別クラスを導入することによってクラス間・学年同士の普段からの交流が
より容易に実現するのではないかなあと考えています。

今日本の教育における平等を考えると
一人一人の子どもに同じ量の学習を与えるということが平等だというのが
基本的な方針です。
でも、こどもによって能力の差があります。
①10学んで10わかる子と
②1学んで10わかる子といる。
だけれど現実はみんな5学んで7わかる。というような中途半端なところで教えています。②の子にとっては何ら問題はなくても(実際はあると思いますが)①の子は確実に落ちこぼれてしまいますこの問題も、クラス間の垣根を低くすることや能力別授業というものを
設けることで解決できるのではないかと思います。
そのためには、能力の低いクラスに行くのは外見が悪いから
実施しないでくれというような表面的な理由で
実現できないよりは
落ちこぼれの子どもを減らすという実質的な面で
実現できたらいいのになと思っています。

私はこどもと付き合うということは子どもと生きるということであり
一緒に育つということなのではないかと考えています。
それは 親であっても、教師という立場であってもそうあるべきだと思います。
立ち位置は場合に応じて変えても 一緒に生きるという気持ちが大切です。
大人であっても完璧な人間は皆無です。
大人であっても発展的に生きることの方が魅力的ではありませんか。
自分のことは棚上げして子どもにだけ成長しなさいというのは
説得力がありません。
一緒に生きる、一緒に成長していくことが
子どもと付き合う最善な道ではないかと思っています。

さて、最後に私はこの問題が提起されたとき
「こどもとはいったいだれか」と考えました。
一般的には未成年者と考えるべきなのでしょう。
親に対してのこどもという存在なのでしょうか。
それとも学校にいるこどもという存在なのでしょうか。
しかし 少子高齢化の時代に 実は高齢者の中に認知症などで
こどもにもどってしまう方もおられます。
そのことで高齢の方の介護する人が大きな困難を抱えます。
日本で、学校で、高齢者の介護現場でも、虐待が起きてしまっています。
それぞれが孤立しているということが大きな要因の一つです。
先ほど、学校で能力別クラスを設けると同様に
子どもは子どもで、高齢者は高齢者でという分けてしまうのではなく
広い視野に立って総合的に問題を解決するという視点がもっと必要です。
それは、日本で昔3世代同居によって
一つの家庭が助け合う構造と似ています。
以前と同じという意味ではなくて
今、この日本で実現できる
多様なコミュニケーションの場所を築くことで
様々な問題に一緒に考えようと言う姿勢が
解決に繋がると思います。
老いると言うことも 終わっていくだめになっていくと取るよりも
ある意味成長して生きていく一つの過程ととらえることで
その生き様に尊敬の念を示すことができると思うのです。