「カムバック」について考える
みなさんは「カムバック」ということについて、どうお考えですか? ご意見お待ちしております。また、もしよろしければ自身のカムバックの経験なども書き込んでいただけると嬉しく思います。
○カムバックの経験
6年前、大学生として最後の年を迎えようとしていた冬の日。年が明けて間もない頃、私は難病となり倒れました。掲示板では何度もお話させて頂いておりますクローン病に、この時罹患しました。真夜中、先輩の車で運ばれそのまま手術となりました。腹を開き、麻酔でしびれ、意識の覚束ない中で、執刀医が開腹部を思い切り引っ張るような感覚を受けたことを、今でもおぼろげながら覚えています。
当時、大学の最終学年を目前に控えていた私は、研究室の所属に悩んでいました。部活を通して知り合った教授のゼミを三年次に取っていた事もあってか、大きく評価して下さり「君の志望を待っている」とまで言って頂いた時には本当に嬉しく思いました。
いわゆるIT系の学部でした。幼い頃からTVゲームが好きで、何か「画面」「コンピュータ」が関連しているものなら何でも良いといった形で、そのままの流れでこのような学部を選択していたこともあり、私にはどこか働くにしても「ITの関連した何か」でなければどうにもならない、というような思いがありました。
大学の近くにある寮で一人暮らしをしていたことと緊急手術の為に、大学のある市の総合病院に入院することとなりました。これに重なるようにして、父が望まない転職となってしまいました。収入は激減しました。更に父は、友人が購入する車の連帯保証人となりましたが、その友人は購入をすませるとすぐに車ごと姿をくらませてしまい、結局全額を父が払わねばならないこととなってしまいました。妹の進学も重なりました。元々学生の間、私はバイトをして実家へ毎月少しずつ仕送りをしていましたが、手術・入院費用等も相まって、結局どちらにせよ四年次の学費は捻出できない事となりました。
入院中に祖父が亡くなったりと、ほんとうに「起こる時は起こる」ものだなと今では思います。不幸自慢をする訳ではないのですが、現段階で私は改めて一人暮らしを再開し、しっかりと就職も勝ち取りました。昨年、父は「保証人」としてのお金も完済しました。その友人も車ごと見つかりました。妹も無事、その後進学しました。心配していた学費も、大学側の配慮で「三年次」の分も支払わなくて良いとして下さいました。
この学費を一年分払わなくて良いという話は全く予期していなかったので、すぐに母へ電話しました。母はその報告に涙を隠しませんでした。電話の向こうでも、わかるほどでした。余程、家庭にかかる経済的な負担でプレッシャーを感じていたのだろうと思います。
様々な場面で、6年前の3月は私にとって「死んだ日」でした。しかしこうして私は今「カムバック」しています。少し時間は掛かりましたが、私は堂々と「復活した」と言えるようになりました。「何にもできることが無い」と思っていた私は「いや、むしろ退院したら何をやってもいいじゃないか!」と思いなおしました。思えば、この時が私の「カムバック」だったのかもしれません。周りがどう言おうと、私自身が納得できていることが「カムバックしたかどうか」として大事な大事な一点だと思うのです。
○安倍さんの話
表題で茂木さんが触れられている安倍晋三さんは、今や有名となりました特定難病疾患の「潰瘍性大腸炎」を患っています。
これは「炎症性腸疾患」というものに分類されます。IBDと表記されます。
IBDにはもう一つ存在していて、それが実はクローン病なのです。
ほとんど双子のような存在で、双方の患者同志で色々と交流がもたれる事があります。
その病状、注意する点、治療法、社会での悩み……
これらがよく似通っている為に、この度安倍さんが起こされた行動については、一般的な面での様々な意見とは別にして、一種独特な患者達の反応というものがありました。
私は主にTwitterでしかそのような反応を見られないので、かなり偏っていますがご容赦下さい。
一般的な反応としては「3500円のカツカレー食べて庶民感覚がない」「病気ですぐやめてたけど大丈夫なのか」「お腹痛いでやめちゃったんだろう」といったものもありました。あるニュース番組でコメンテーターが「たかが腹痛で、子供みたい」などと言ったとして、Twitterで一部炎上していたりってこともありました。
これらの反応とは別に、Twitterでフォローさせて頂いている同IBD患者の方々のご意見はまた少し違った視点がありました。
IBDは「油分」「刺激物」「食物繊維」に対して弱いとされていたり、たんぱく質の分解吸収がうまくいかずに炎症を起こしてしまったり、そしてそれが人によって違い過ぎてうまく指導もできないといった難点があります。慢性的にずっと腹の調子が悪い人もいれば、私のように5年に1度程度の割合で、突然腸の一部が固く絞られてしまい、切り取る手術を要するという患者もいます。
つまり「ごちそうはほとんど大敵」という患者が多いのです。ラーメン、からあげ、キムチ……などなど。ですから、安倍さんがカツカレーを食ったというのは結構衝撃的なことで「カツ」も「カレー」も、いったのか!?といった驚きが先に来ていました。
もちろん問題なく食べる患者も居ますし、しばらく節制して体調を整えて「イザ!」ごちそうにありつかんという涙ぐましい食生活の患者もいます。もし「年に数回しかカツカレーを食えない」状態で、それも「毎日色々と気を使わないといけない」としたなら、できるだけ高級なものを食べたくなりますよね?人情ってものです。庶民感覚かどうかは、分かりませんが……
他にも「いかにも治ったかのような振舞いは、患者としては社会での理解に偏見が混ざるのでは」といったような意見や、「あえてしっかり働ける実績を残してくれるなら、それはそれで同患者として良い指針になるのでは」といったような意見もあり、患者の中でも色々と方向性があります。
安倍さんが今回の勝負をどう切り抜けるかと勘案した中で選んだ一つの戦術に過ぎないと私は考えています。「素晴らしい治療薬が開発された」「それによってほぼ問題なく活動できる」と主張するのは、恐らく事実だと思います。IBD患者としては、全てがそうやってうまくいくと思われるのは困る場合がある、という不安が来るのです。でも、それを全て明確に説明したり配慮したりしていては進められるものも進まなくなる恐れがあります。私も、就職活動ではあえて持病を積極的に公表することはしませんでした。ですから、安倍さんの行動如何によっては「IBDに対して変な勘違いをする人が増えるかもしれないな」という心配を持ちながら、「もし自分だったら、確かに元気さアピールを先に持ってくるかもしれないな」という思いが、矛盾しているようで、同居するのです。
○本題に入ります。
私は、究極的には全ての「カムバック」は許されて良いと考えています。
ただし「誰かが何かをしても、みんな見てみぬフリで許してしまう」といったこととは異なります。
あくまでも「復活」です。復活とは、自ら生き返り、立ち上がる事を指します。
自分の足で、もう一度。それがカムバックだと考えます。
ですから、周りが「もう駄目」と烙印を押そうとも、是非戻って欲しいと評価されようとも、本当は関係ないのだと思います。何か一つを乗り越えて、また立ち上がり、そこに何らかの納得を自ら手に入れる。こうしてカムバックした人は必ず何か一つの「価値」を得て戻ってきます。ですから、全てのカムバックは許されて良いと、私は思います。
はじめに載せた私の体験の中で、私は「死んだ日」と表現しました。大げさな表現なのかもしれません。しかし、私達人間に限らず様々な物事は死んだり生きたりを繰り返しています。眠って起きて。陽が沈んで昇って。失敗して学んで。星が爆発してまた星が生まれて。「カムバックを許さない」「もう駄目の烙印を押す」ということは、その法則めいたような「死んだり生きたり」を否定しているように私は感じるのです。
三島由紀夫が言った(とされる)言葉に<治りたがらない病人などには本当の病人の資格はない>といったものがあります。ある欠陥を呈したことで失脚した人物に対して<もう駄目>としてしまうことは、とりもなおさず「復活の機会」すら奪いかねない、生命への暴力と言ってもよいのかもしれません。
私は難病になった事で、当時「レールから外れてしまった」と考えた時期がありました。IT系でしか働けない。大学も中退になってしまった。他に何も出来ない。身体も弱い。この先どうしたら良いのだろう。もう弱者として細々と生きていくしかないのだろうか。そんなことを考えたのです。
一般的に「人の敷いたレールに沿って生きる」というイメージには、どうもネガティブな要素があるように思います。親が決めたことでした動けない、とか。大学という権威に頼らねばどうにもならない、とか。だからこういう時に使うレールという言葉に、どこか冷たいものを感じていました。
今思えば私はレールから落ちてはいないと感じます。私と同じ様な境遇の方々と交流する中で、私は自分自身が病気に対して「喜び」のようなものを持っているなと思う事があります。「なってよかったな」と。その一方で、同じ様な境遇にも関わらず「絶望」し「落ちて」行く人もいます。
「レールから落ちる」とは、そういう人の状態ではないかと思います。
そこに何の差があったのかは分かりません。一つ言えるのは「復活は一人ではできない」ということです。家族の支え。考え方の指針。尊敬する人。インフラ。医療。難病支援制度。友人。仲間。偉人の言葉。色んなものがあってはじめて、私は「死」という闇夜に「価値」を見出して、復活の曙光を臨むことができました。
大昔、鉄道の建設には大勢の血や命の犠牲があったと聞きます。いま私の足元には確かにレールが敷かれています。見渡せば大地を整える人、資材を運ぶ人、レールを組む人、調査する人、休憩する人、色んな人が目に入ってきます。まだまだ先は続いていないかもしれないレールですが、理想に向かって建設が進められています。「カムバック」したことで、私にとってのレールはとても熱いものとなりました。
○「カムバック」は希望を作り続ける
>日本ではどんなに優秀な人でも、一度でも失敗すると、「もう駄目」の烙印を押されてしまう傾向があるように思います。
とする茂木さんの表題は、できれば改められて欲しい日本の現状かなと思います。
端的には、よく例として取り上げられる「入試・就職失敗での絶望」があります。
先に申し上げましたように「ただ失敗を見逃す」で良いという主張ではありません。
失敗は失敗として、どんなものでも「カムバックできる」という風土になって欲しいのです。
カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。
様々な哲学や、偉人の言葉に「夜明け前の闇こそが、最も暗い」というようなものがよく見られると思います。それに関連して、ニーチェは「よし!親愛なる我が心よ!不幸な目に遭ったな。その不幸を、お前の幸せだと思って楽しむことだ!」という言葉を残しています。本当の賢者なら、目の前の苦を喜べるのだという事です。なぜなら、その為に「カムバックできる」からです。新たな価値を携えて「生き返る」からだと思います。
「死ぬこと」も生命活動の一つです。人間自体は死んだら終わっちゃいますが、死んで、生きる、その流れこそ自然だと思いますので、もし何かの不幸が重なる事があっても、それは「カムバック」の為に必要な事なのだと考えられます。もしこのように思えたのならば、これほど確かな希望はないかなと思うわけです。
○安倍さんは何を乗り越えるか
IBD患者として気になることは「完治という診断は本来的にできない」という点です。
現状どのような治療が必要なのか。トイレ等の頻度や、食事の考慮などは、どの程度不自由を及ぼすのか。緊急時にはどんなバックアップ体制がとられるのか。総合的に、実際として何年も激務に耐えられるのか。
そういった事はもちろん議論されて当然だと考えます。
「本当に大丈夫なの?」というのは、患者でない人々からすれば当然の疑問です。
また、難病はなかなか理解されるものではありません。
私が罹患してから、母はかなりクローン病について勉強していました。
根菜類が元々苦手なのもあり、出さないように話をしていたのですが、それでも夕食に揚げ物や根菜類をふんだんに使った料理を並べてしまったりといったことが、結構ありました。当時私はそれに腹を立てていましたが、それもかなり理不尽な事をしてしまったなと、今では申し訳なく思います。実の息子が大病していようと、細かいところまで把握するのは難しいのです。そういったことは、余程プロが身近にいるでもなければ、患者本人が常に表現し、気を配り、できるかぎりきちんと自分でやらねばなりません。
安倍さんは「難病」というリスクのほかに「すぐに総理をやめてしまった」というイメージがついています。だからこそ、より力を付け、力を出さねばなりません。そのようにして「価値」に変えていけるのならば、安倍さんは本当に「カムバック」できたのだろうと思います。