「カムバック」について考える
みなさんは「カムバック」ということについて、どうお考えですか? ご意見お待ちしております。また、もしよろしければ自身のカムバックの経験なども書き込んでいただけると嬉しく思います。
私は、これまでの人生で、3度、リタイア&カムバックしました。
そのたびに、給料は激減しましたが、幸福度は高まっていると感じています。
1度目のリタイア&カムバックは、公務員の福祉職として働いて10年目の退職とその後です。
組織の秩序、ルール、制度…を守りながらでは、障がいのある人たちの「人生」を支えることはできない…と感じ始めて数年。施設に暮らす人たちの、どうにもできない人生を見続けることに苦しくなってしまって、リタイアしました。
その後民間の社会福祉法人で働き始めてみて感じたのは、自由な人生にはとても大きな責任があるということと、結局、制度やルールを守りながら、その中で最大限の工夫をしていくしかできないというジレンマでした。
今思えば、公務員を続けていたら、この制度やルールを変えたり、運用の自由度を高めたりする仕事ができたのかもしれないとも思いますが、責任を負いながら、障がいのある人たちの人生の豊かさに少しでもたくさん関われる仕事をすることで、自分の幸福度が高まったことのほうが、価値があったと感じています。
2度目のリタイア&カムバックは、娘の出産を機にした退職とその後。
ちょうど、家人の転勤もかさなり、いつかは…と思っていた、里山暮らしが実現することになったことと、子どもの成長・発達にじっくり、ゆったり寄り添いたいと思ったことからのリタイアです。
子どもを産み、育て始めてすぐに、子どもの成長・発達を通して、それまで関わってきた知的なあるいは発達に障がいのある人たちの障がい特性(脳の機能)や、その人たちへの関わりかたで、わかっていなかったことがたくさんあったことに気づきました。
子どもから教えられるたくさんのことを、このままにしてはもったいない…!でも、山暮らし&子育てをしながら、前のように働くことはできないし…と考えて、今の自分にできるやり方として、フリーで、「障がいのある人たちを支援する人を応援する」をコンセプトに仕事を再開しました。
今までに関わりのあった人たちからつながって、いろいろな支援現場に寄り添った地道な積み重ねを応援する仕事です。
子育てから学び自分の中で力となっていると感じることが、思っていた以上に大きく、それまでわかった気になっていたことを反省することが度々…。
また、人を育てるにはとてつもない労力と時間と忍耐力を必要とすることを子育てから学んだことで、それまでは、ガンガン進められない人に寄り添えなかった私が、小さな努力を重ねている人たちに共感できるようにもなっていました。
3度目は、関わっていた仕事先の混乱に深く関わりすぎ、激務と人間関係のストレスから、エネルギーを消耗しすぎで軽いうつ状態となった時です。
1年ほど仕事を一切しないで、過ごしていたのですが、「そろそろ元気になったかぁ!」と山奥まで会いにきてくれた仲間たちに、生きててよかったぁ!まだやれることがあるのかぁ!と思えるエネルギーをもらって!!また、できることをできるだけ…の仕事を続けています。
今は、「応援」を超えて、もう少し積極的に、「障がいのある人を支援する人を育てる」ことにポイントを置いて仕事をしています。
初めにも書きましたが、仕事をしての実入りは、確実に減っています。が、自分自身にとっては、今が一番価値のある大切な仕事をしていると感じています。その中には子育ても含まれます。
日本は…少なくとも、障がい福祉分野は、人を育てるということに、もっともっと価値をおき、大切にするべきだと、感じています。(本音?(笑)こんなに地道な努力に、見返りがないのでは…生活がなりたちませ~ん…)
こんなふうに、自分のリタイア&カムバック歴を振り返ったのは初めてですが、こうしてみると、リタイアというのは、カムバック=再チャレンジのきっかけになっていたんだなと感じます。
No.1のtrasqueさんが、「カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。」と書かれているように、失敗やリタイアが、新しい価値を創造するチャンスとなる、チャンスにできる、そして、その新しい価値に見合うだけの評価がつく、そんな風土になっていってほしいですね。というか、していかなければいけませんね!
trasqueさん、「「カムバック」は希望を作り続ける」名言だと思います!