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「カムバック」について考える

安倍晋三さんが、自民党の総裁にカムバックしました。それを受けて、「一度、総理大臣を放り出した人にもう一度チャンスなんてあげていいの?」といった意見も聞こえてきます。シリコンバレーのように「一度失敗した」という経験は、むしろプラスに評価されて、より多くの出資金が集まる文化もある一方で、日本ではどんなに優秀な人でも、一度でも失敗すると、「もう駄目」の烙印を押されてしまう傾向があるように思います。

みなさんは「カムバック」ということについて、どうお考えですか? ご意見お待ちしております。また、もしよろしければ自身のカムバックの経験なども書き込んでいただけると嬉しく思います。

NO.9   ryosuke85 2012/10/08 11:11:30 合計 19pt.

カムバックについて考えてみる

日本において、何故ここまでカムバックについて拒絶的になるのかを考えてみました。
そこで一つ自分の中で思い当たる節があって、以前にこの掲示板でも議論された責任の取り方や、前回の子供との接し方との関連もあると思います。

子供の頃から考える事をせずに答えだけ用意され、大人の為に都合のいい様に準備され、その道を少しでも外れれば怒られる。

こんな経験を積み重ねた結果、考える事を放棄し、尚かつ周りの目だけを気にし、失敗に対しての責任の取り方も分からずに怯えながら行動する。

かなり乱暴な言い方になっていますが、根本的に大人が一人の人間として接していないからこそ、育まれてきたものだと思うのですが、その根本的な原因が個人的には「切腹」にあるように思えて仕方ありません。

以下はWikipediaからの引用です。(切腹:http://bit.ly/UMuYGu)
「切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が、広く唱えられている。」

とあり、その前には歴史的な背景を記述していますが、この切腹について、私は何とサディスティックでマゾスティックな方法かと畏怖しています。

過去において重罪を犯したものに対して斬首されていたわけですが、自ら腹を切り、その上から首を落とされる、という刑罰の方法を考えると、現代に生きる私からしたら、とても理解の出来ない行動です。

完全に私見になるのですが、罪を犯した人間は、究極的に自分を痛めつけた上で、それを罪だと認識している人間によってトドメを刺される(首を落とされる)訳です。

自分のした事の大きさを自らの痛みを持って感じた上で殺されろ、という風にとってしまいます。

腹を切る事が尊厳死だという風潮になったが為に、失敗を犯した人間に対して「あなたはこんな大きな罪を犯したんだから、腹を切りなさいよ。その姿は大罪を犯した人間でも腹を切れば、美しく映るから、その上で殺してあげる。」という人を見ずにいう事がまかり通ってきたんだと(本当勝手に)思っています。

海外でもいくつか例はあるみたいですが、非常に日本的なシステムの見てみない不利をする為の中央集権的なシステムであったのではないでしょうか。

失敗をした人間に対して、腹を切る事を求めてきたからこそ、「なんだお前、あんな失敗したにも拘らず、恥ずかしげも無くまだ生きているのか」というのが現代の日本においても存在しており、それが失敗を許容できない。

その失敗を踏まえた上で次の行動を起こせる人間を見てこなかった日本だからこそのカムバック拒否姿勢ではないだろうか、というのが今回の自分の意見です。

今回もかなり強引な持っていき方だと思いますが、どうかよろしくお願いします。