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嫌いな人は、なぜ気になるのか

僕はよくツイッターで絡まれます。一度も返事をしたことがないのに、ずっと僕のツイートを追いかけて、反論や難癖を送りつけてくる方がいる。以前は傷ついたりもしていましたが、最近は、「この人たちは僕のファンなんだ」と思っています。

僕自身の若い頃のことを振り返っても、突っかかっていく相手というのは、気になる存在だった気がします。自分が出来ないことをやっているとか、自分が持ちたかったものを持っているとか。

近隣諸国との関係も同じかたちだと思います。中国や韓国の悪口を言う人はたくさんいます。けれどもアフリカや中南米の国のことについて、これほど熱心に悪口を言う人はいない。そもそも関心を持つ人が少ない。結局、嫌いという感情を持ったり、攻撃したくなる対象というのは、自分にとって「近い」対象なんだと思います。僕自身は、最近、日本の国をよく批判していますけれども、それは日本の国が自分にとって大事だからです。

みなさんは人生の中で、「この人のことがは嫌いなんだけど、気になって仕方がない」という人に出会ったことがありますか。あるいは反対に、誰かから執拗に攻撃されたことはありますか。好きと嫌いの微妙な関係について、個人レベルでも良いし、国家レベルの話でも良いので、みなさんのお考えを聞かせてください。

NO.3   masami 2012/10/18 19:23:01 合計 20pt.

私には、嫌いだけれど気になってしょうがない人も、執拗に攻撃された体験もないです。

茂木さんが
「僕自身の若い頃のことを振り返っても、突っかかっていく相手というのは、気になる存在だった気がします。」
「嫌いなのに、どうしても気になってしまう人がいる。そういう状態を、英語では、Love to hateと言いますね。」
と書かれて、ブッシュ元大統領を例に上げている文章を眺めていて、ひょっとして、こういう現象は、ある程度知名度の高い人に起こるのかな?と思いました。

以前、茂木さんからダンバー数の話を伺った時、どうやって調べたんだろう?実際に会う人と、ネット上のつながりとではまた違うだろうか?内向的な国と外向的な国とでは違うだろうか?(例えば、1000人にパーティーの招待状を送ると、友達を連れてきて、2000人来るのが普通の外向的なフィリピンと、800人くらいしか来ない内向的な日本とではちがう?)などと、いろいろ気になっていたところで、こんなサイトをみつけました。
http://jp.msn.com/?ocid=hmlogout

携帯、facebook,twitterなどがある今、人と人とのつながりが飛躍的に広がったように見えるけれど、一般的な人の場合、親密な関係があるのは4~6人、という情報は、私が周囲を見て感じることとも、一致してるかな、と思います。

一方で、見知らない人と直接簡単につながれるようになった今、有名人や、社会に大きな影響力を持つ人は、一般の人とは全く違う環境に置かれているように思います。茂木さんを執拗に攻撃する人は、茂木さん個人ではなく、茂木さんによって象徴されている(とその人が感じている)ものに対して攻撃しているように思います。今までは、一人でぶつぶつ言っていたことを、今は匿名性を保ったままで伝えられるようになった。現実に生身の人間として出会ったらできないことを、憂さ晴らしのようにしているのかな、と感じます。


今回、好きと嫌いの微妙な関係について、というテーマですが、内向的な日本人だからか(?)感情を客観的に語るのは難しいな、と感じます。どのような切り口で語ったらいいかわからないのは私だけでしょうか?
例えばこういう感じでもいいんだけれど、というような補足を付け加えていただけたらなぁ、と思います。