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日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。

NO.20   yamanorisu 2011/04/23 23:04:17 合計 0pt.

今回は、おばさんの心配する幕ではなかったので(笑)、のんびり構えておりました。
が、あまりのんびりしていて、次のお題になってしまってもいけないので、参加させていただきます。

今回も、一児の母であり、女性であり、後進の育成が役割になってきている立場から、書かせていただこうと思います。

日本人として…という議論について。
私は、海外へ行ってみた経験が2回しかなく、生活をしたことはありません。でも、仕事柄海外の知識や情報やスキルを学ぶ機会があります。
そこで感じるのは、まず、自分の国を大事に考えていること、それから、先端の知識も技術もスキルも必ず歴史や基礎的なものの上にあり、それをとても大事にしているということ。いいものはなんでも取り入れればいい、今までの自分が足りなかったり間違っていたら、修正すればいいじゃないかというしなやかさ。そして、失敗も成功もおおらかに前向きに受け止め、いつも前にむかって進んでいこうという姿勢。誰もが、いいものをつくりだしていこうと自由闊達に意見をぶつけ合っていること。などなどです。

一方、娘が小学生になり、現在の義務教育・学校教育というものに久しぶりに直接ふれるようになり、感じていることは…。
自分の住む場所や日本という国を大事に感じられるように…という意図で組まれたカリキュラムでさえ、用意された「ここはいいところなんだ」という答えにむかって教え込まれるだけで、いいところも悪いところもある、自分でもいいと思うところ、嫌だなとおもうところがある、それはどうしてなんだろう?というような議論や思考を経ることはないように感じます。
それ以外でも(例えば「道徳」の授業でさえ)、常に(教えるべき)正解があり、そこに向けて迷うことなく進んでいくことをよしとする価値観が強いのではないでしょうか。結果として、子どもたちの中に、今ここで得る答えさえわかればいい、という気持ちがどんどん大きくなっているように感じます。
プロセスを大事にしないということは、基礎や歴史を大事にできないというところにつながりかねないのでは…、物事には必ず正解があり、間違いや変化、人と違うこと(違う意見を持つこと)は良くないものと思いこんでしまうのでは…、と心配しています。

授業中に子どもたちが思ったこと気づいたこと感じたことを口々に話し始めると、「静かに」と言われてしまうのは、娘の学級だけでしょうか?
進むべき道をじゃまする意見は、先生の「今は関係ありません」「それは違います」の一言で片づけられてしまっていいのでしょうか?
そのような環境の中で、「自立自尊」は育つのでしょうか?
自分という存在を、長い歴史の中のかけがえのない一瞬としてとらえ、自分に自信を持ち、自分を大好きになり、しなやかにタフに生きていくことができるようになるのでしょうか?

私は、「自立自尊」は勝手に育つものではなく、親が大人が教え導いていくものだと思っています。
No.18 masamiさんの投稿にある「「自己について語る自己」「自己によって語られる自己」はいつの時代にもどのような社会にも、普遍的に存在するというのではない」というのは、組織や体制によって強制された自己しかもてない時代・社会があるということではないでしょうか?親が、大人が、社会が、自立自尊の自己を認めない…。それは、過去の遺物のようでありながら、今この日本にある現実ではないかと思ったりもします。

「最近の若い者は」は、いつの時代も「おばさん、おじさん」の愚痴。
でも、あえて、「今の若い者は」、自分で自分をほめられない、議論もコミュニケーションも苦手、「どうすればうまくいくか、どうすればいい方向へ進むか」を考えられない、プロセスを面倒くさがる、遊び心がない、失敗をおそれる、人にどう思われるかを気にして躊躇する…人が多いなぁ…と感じるのは…今の日本の教育のせいではなく、私がおばさんになったから、でしょうか…?

がむしゃらになる、失敗して悔しがる、感動して泣く、成功して…泣く、そんな心の動きを、本当は求めているはずなのに、抑え込んでいないでしょうか?

「何か」(例えば今回のような大震災)があると、若い人たちの一生懸命な行動がたくさんニュースになります。なぜ、普段からそれができないのでしょうか…?

人のため、日本のため、自分のために、やれること、やるべきことは、日常のあちこちにあるはずなのに…。

あぁ。やはり、おばさんの愚痴でしかないのでしょうか。
長くなってすみません。