総選挙の争点には何をおくべきか
みなさんは、次の総選挙においては、何を「争点」とすべきだと思いますか。原発についての態度でしょうか。TPPを受け入れるかどうかでしょうか。憲法を改正すべきかどうかでしょうか。近隣諸国との付き合い方でしょうか。あるいは、経済的格差に対する考え方でしょうか。
もし、誰も思いついていないような意外な争点がありましたら、それを教えてくださっても結構です。さあ、議論しましょう。
chigusaotsukiさんの投稿を見ているうちに、「狭いながらも楽しい我が家」という、戦後、エノケンが歌った歌詞が思い出されました。また、中学時代に英語の教科書に載っていた、オーヘンリーの「The Gift of the Magi」の短編も甦ってきました。私達の子供の頃の「貧しさ」というイメージは、家族の暖かさによってもたらされた幸福感に満ちていた様に思います。一方、金持ちの家は、どこか冷たく、家族同士が空々しく見えたものです(そうはいっても羨ましかったけど)。私の家は、両親が、共稼ぎの教師で、その頃は、教師といえば、デモシカ先生(先生にでもなるか、先生にしかなれない)といった時代でした。給料も一般の人よりも低く、エンゲル係数も50を越えていたと思います(父が、結核を病んで、体力をつけるのに食事にお金をかけたということもある)。狭い畑で下肥を肥料に野菜を作り、市営住宅なのに、日曜大工で風呂場を増設しました(後でおこられたけれど、許してもらった)。風呂の水汲みは、いつも鍵っ子の私たち姉弟です。そこには、小学校4年生までいました。お釜のご飯も炊いたし、薪割りもした。あとは、母親がご飯の用意ができたと呼びに来るまで、川や田んぼでガキ大将を中心に転げ回っていました。その頃は、家庭を持っていれば、アル中になるほどお金に余裕はないし、お母ちゃんも、お父ちゃんになんか負けていなかった。夫婦喧嘩は犬も食わないといって、皆んなほっておいたものです。
そんな風景が変わり始めたのは、東京オリンピックや東海道新幹線が開通した頃。時の池田勇人首相が所得倍増計画を打ち上げた頃からです。高度経済成長の波に乗り、田中角栄首相の教師聖職論によって、教師の給料もどんどん上がっていきました。「貧乏」が中流へ、それから世間全体が「にわか成金」の相を呈してバブル経済の崩壊まで突っ走っていったように思います。「にわか成金」の時代は、1980年からほんの10年ぐらいのものだったのではないでしょうか。東南アジアに団体で買春旅行に行ったり、キーセン観光が華やかだったのはこの頃のことでしょう。それから、失われた20年、考えてみれば、「貧乏人が、大金をつかんだらろくなことにはならない」そのまんまで、「The Gift of the Magi」の夫婦が、宝くじに当たって、有頂天になって、お金を使い果たし、最後に金の鎖と髪飾りも売りに出してしまったようなものです。何かが間違っていた。そう思いませんか?
何かが間違っていた。時代に流されない心ある人達は、そう思っているのでしょうが、それがなんだったのかは、なかなかはっきり見えてこない。見えてこないとこれからどうするかの方策もままならない。そういうことではないでしょうか?
今、総選挙の焦点に、原子力発電所を維持するのか、脱原発でいくのか、あるいは、TPPへの参加問題を争点にするのか等の話題が持ち上がっていますが、果たしてこの問題を解決できれば、本当に、日本の将来が明るくなるのでしょうか?全く展望が見えてこないような気がします。「にわか成金」が犯した過ちは、これくらいのことでは取り返しがつかないように思いますが、いかがでしょうか?少なくとも、chigusaotsukiさんの表現された、この世の地獄を「狭いながらも楽しい我が家」に変えるのは、こんなことでは実現しそうにありません。
そんなことを思いながら、前の自分の投稿を眺めていて、ふと思うことがありました。「完全に錆び付いてしまった官僚支配の政治経済社会システムを一新する」というところですが、政治経済社会システムは、一緒くたのものなのかなと思ったのです。経済はお金の世界だし、社会はお金抜きにした、利他の繋がりが幸せです。それなら政治とは? その二つの世界をうまく橋渡しする為にあるのではないかと思えたのです。我々は、「にわか成金」の時代に、お金があることと、幸せであることとを、完全に混同してしまったのではないでしょうか。そして、それが、形骸化した儒教道徳と相まって、すべてのシステムでうまく動かなくなったということではないでしょうか。これは、ここで一度それぞれのシステムを出来るだけ区別して、お互いの役割を再検討してみたら、あるいは解決の糸口が見えてくるのではなかとおもえたのです。
大まかにいうと、経済システムは、グローバル化の中で、どうしても効率化して、競争力をつけなければならないので、今までの、年功序列や終身雇用は廃して、完全能力主義、自由競争主義を実現します。当然、競争に負ければ、舞台からは退場しなければなりません。よけいな福利厚生も全廃して、企業の収益力を出来るだけ高めます。これは、企業戦士の世界ですが、勤務時間や、有給休暇等、TPPの手前もあるので、休日は一部の職種を省いて、家族の為に厳格に守るようにします。これは、いわば、自動車でいうとエンジン部分なので、能力のある、また、やる気のある若者が大量に必要となります。実力次第で、いくらでもお金が稼げるし、お金で得られる幸福は、いくらでも手に入ります。然し乍ら、労働人口のほとんどの部分をこれに当てるという必要はないと思います。日本のように高度に工業化した国では、効率化を追い求めれば、必要な労働力は、それほど多くはないと思います。一方で、世の中には、そんなにお金が得られなくても、悠々と幸福な人生を送りたい人、子供、年を取って働けない人、世の中の為に働きたい人、我々のように、人の心に幸福を届けたい宗教家、芸術家、冒険家、スポーツ選手等々、色んな人生を歩む人がいます。これらの人々は、自由競争や実力主義にはなじみません。しかし、これらの人こそ、幸福で生き生きした社会の主たる構成員ではないでしょうか。これらの人が活躍する場所は、あるいはNPOであったり、ボランティアであったりしますが、地域では、経済を牽引する企業戦士と共に豊かな社会を実現します。そして、それを実現させるよう、社会の仕組みを考えて政策を行うのが、政治システムということになりはしないでしょうか。人々の福利厚生は、この政治システムの中で行います。ベーシックインカムは、こういうモデルを考えたとき、最良のシステムだと思われます。エネルギー政策や、外交、教育問題等も、国民の声を吸い上げながら、時には、国民に理解を得ながら民主的に推進していきます。
そして、経済の部分をエネルギーを生み出すエンジン部分として、ある程度生身の人間社会から切り離すことが出来たなら、そちらは、先端科学の現場としておいて、一般社会の中には、昔の日本文化を復活出来たらと思っています。鹿鳴館時代からおかしくなった、西洋と東洋のごちゃ混ぜを切り離して、純粋に日本の心を取り戻したい。旧暦や、尺貫法を取り戻し、節句や行事、日本の伝統文化、芸能や、職人技術を復活させたい。経済システムがうまく稼働し、スローライフ、手作りライフを愛する人が数多く出現するようになれば、こんなことも実現不可能ではなくなるような気がします。これは、一見グローバル化と矛盾しているように思われますが、私は、これこそが、日本が世界の中に貢献できるグローバル化の切り札なのではないかと思っています。また、世界中の人も、それを期待していることでしょう。平和で、魅力あふれる日本には世界中から人々がやってくることになるでしょう。何を残し、何を廃するのか、今から楽しみです。
それから、TPPやFTAの問題で、農業の自由化が、農業を壊滅させるのではないかという、グローバル化に対する恐怖心がよく聞かれますが、これも、経済と社会システムを別々に考えることによってある程度は乗り越えることが出来るのではないでしょうか。つまり、今でも、競争力のある農業は存在する訳で、問題は、中途半端に存続し続ける、農協を維持する為だけの農業です。既に競争力のある農業は、TPPやFTAによって、ますます競争力を身につけていくと期待されますから、経済システムの中で自由競争を進めていってくれると思います。一方、残りの中途半端な農業の方ですが、私は、ハイテクや、住宅産業と結びつけて、情報集約型自給自足農業を実現したらどうかと思います。このアイデアは、施設ハイテク園芸も考慮に入れながら、スローライフを実現する、大家族や、コミュニティー単位の自消自産を想定します。自分たちの食料を自分たちで作るのですから、経済性はある程度目をつぶることが出来るし、無農薬や、有機農法への取り組みも期待できます。勿論、これだけでは、日本の食料自給はすべてまかなう訳には行かないとは思いますが、ベーシックインカムを想定すれば、他のSOHO、フリーランスなどの職業とも組み合わせて、山の中や、今では荒廃してしまった山村を開発して、コミュニティーを作ることも夢ではないと思います。高度ハイテク化できれば、世界中の農業者とも情報交換も可能だし、住宅、ハイテク産業には、ノウハウが蓄積された段階で、世界中、砂漠や、未開地にも、自給自足システムを売り込むことも可能になるのではないでしょうか。
まだまだ、経済システムを、社会システムと切り離したところから出てくるアイデアは尽きませんが、何はともあれ、落ちるところまで落ちでから、これらのアイデアを実現しようとしても、10年も20年も遅れてしまうと思うので、まだ、少しは経済的に自由が利く、なるべく早い時期に政治経済システムのリセットを国民合意の上で実現することが出来れば、日本の未来もまた明るい日が昇ってくるような気がしますが、いかがでしょうか?