希望を持つにはどうしたらいいか
10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。
子どものときに、私には、希望で、いっぱいになる、ひとつの質問が、ありました。
それは、「大人になったら、何になりたい?」という、質問です。
大人になったら、何になるか? を、考えるとき、私は、幸せと希望に満ちていて、時間を忘れて、ただただ、想像していました。
はじめは、お母さんと同じに、なりたかったから、「看護婦さん!」と、4歳の私は、こたえていましたが、ある日、「私は、お嫁さんになりたい。」と、こっそりと考えを変えて、毎日、毎日、ウエディングドレスの、ぬりえに、夢中になっていました。
いつまでも、夢中になれることがあるのが、希望のようです。
4歳のときのように、何でもできる! と思って、できた!、できた!を、繰り返していれば、よかったのに、ある日、できないと、思ってしまいました。
でも、自分でも、言葉には、しないけれど、本当は、あきらめている訳では、ないと思うんです。
自分でも、気づいていないけれど、私は、ずーっと、英語を勉強しています。
英語が、できるようになると、思っているんです。
でも、どうやら、それは、私の無意識のようです。
4歳の頃のように、意識の表面には、出てきません。
でも、私は、英語に、iPad に、夢中になれます。
英語を学ぶことが、私の生きる希望なのです。
そして、無意識の中で、私は、希望を持っているからこそ、あきらめることが、できないんです。
4歳の時より、今の自分は、複雑になってしまいました。
でも、安心できる人の前では、自分らしくしていられそうです。