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希望を持つにはどうしたらいいか

10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。

NO.3   ryosuke85 2012/12/06 09:10:49 合計 27pt.

今回は、“希望とは何か”という点からお話をさせていただきたく思います。

僕個人として希望に対して抱いているのは「絶望」と一体性がある、という事です。それは、絶望とまではいかなくとも、「不安」や「恐怖」とも認識できるものだと考えていて、そういう点で言えば、常に恐怖感を抱きながらも、自らの行動に対して希望があふれてくる僕は幸せ者かも知れません。

守りたい、と思うものが増えてくるにつれて、絶望や不安、恐怖感というのは増大してきていて、それが「大人」になってきた証拠なのかなぁ、とも思います。

それが認識できていなかった暦年を「子供」とし、認識できるようになった暦年を「大人」と規定し話を進めさせていただけば、それを認識していなかった時と現段階での「希望」に対する認識、気持ちの抱き方に明確な違いがあるのかと言えば、違いはありません。

ただ、「希望」のもう一つの“顔”を把握する事が出来るかどうかの違いはあります。
自分の抱いている気持ちと現実から計算をした上で、それが自らの、もしくはその周りにいる人間の人生に対してどのように作用する話になるのかを逆算的に考える事が出来る様になりました。

ですが、根本的に自らが進みたいと思っている道に対しての高揚感は、上記した「子供」の時と何ら変化はありません。

常に「子供」でいる必要は無いと思いますが、「子供」の時の様にポジティブな希望の持ち方をすべきだとは思います。そう思う理由は、「大人」になるにつれてドンドンとネガティブな言葉を使う人が増えてくるように感じるのです。

ネガティブというよりも“案じ過ぎて動けなくなってしまう人”が増えてくるという様な印象です。

以前の議題に上がった「カムバックについて」や「いじめについて」、「責任を取るとはどういうことか」という中での社会的な「大人」を見る目に冷たさを感じる事が大きな要因になっているのかもしれません。

だから、という訳ではありませんが、僕は、僕の周りという小さな社会から「許容」する様にしています。もちろん、何もかもという訳ではないのですが、やってみないと分からない事が多分にあるにも拘らず、それをさせないというのはもったいない話だと思うんですね。

そう思うからこそ、僕は周囲の人間が少しでも自分の抱く「希望」を絶望や不安、恐怖感に苛まれながらも立ち向かえるように「許容」していこうと思います。