希望を持つにはどうしたらいいか
10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
※http://amzn.to/XbNBJR
※http://amzn.to/SmOLh4
掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。
※http://amzn.to/XbNBJR
※http://amzn.to/SmOLh4
掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。
ryosuke85さん
最後の死をどのように迎えるか、と言う点から書いてくださって、ありがとうございます。
「例えば、人生の中に抑揚があるとすれば、波状に変異していくわけなので、その時間の使い方を考え、有効に使っていく事を望む事が希望とも言えるとも考えますがいかがでしょうか。」
そうですね、限られた時間の中でどれだけ希望を膨らませられるか。希望が絶望と一体性があると言われながら、軽やかに希望を考えられている強さは、「許容」することを志していられることから来ているのかな、と感じました。
死に関しては、私が思い描いていたこととは違った視点で、また、前の投稿の、逆算的に考える事、ともつながっているようで、とても興味深く感じました。
死をどのように受け止めるかは、宗教とも関係してくると言えると思います。
「宗教は、死が身近だった時代、乳幼児が簡単に死亡し、寿命が短かく、身近に何人もの方が家で亡くなっていた時代、自分の死を考えざるを得ない中、安心して生きたいという思いから人々の心の中に大きな割合を占めていたが、死が昔よりも日常からはるか遠くに追いやられた今、人々は宗教を以前ほど必要としなくなった。」
というようなことを本で読みました。そのような死や宗教への感覚の変化は、希望の持ち方にも変化をもたらしているのかもしれない、と感じました。